一枝ごとに「綺麗に咲いてくれてありがとな」と呟きながら、細い茎にはさみを入れる。
数十回それを繰り返した後、茎から丁寧に刺を取り去った。
そうして、刺のかけらもふき取って、最後にチェルシー・ピンクのラッピングペーパーとセロファンで包み、ウェストミンスターのリボンをかけた。
出来上がった花束を見、彼は満足そうに頷いた。


『彼女のための花束』

ロンドンは今日は曇りで、ニューヨークから来たアメリカはTシャツ1枚では肌寒いなと思いながらダブルデッカーを降りた。
歩くこと十数分。民家に埋もれるように佇みながら、他の家よりよほど美しく咲き誇る花に彩られた屋敷にたどり着き、アメリカは上機嫌でドアベルを鳴らす。
程なく聞こえる足音に、満面の笑みを浮かべそうになるが、子供っぽいからと……その思考こそが子供である証だとも知らず……わざとすました顔でドアが開くのを待つ。
「やあ、イギリス!今日も君んちは湿っぽいな!」
ドアを開けるなりそう言ったアメリカに、イギリスは目を真ん丸くして固まった。
何の前触れもなく訪れた自分に、いつもの小言が始まるかと思いきや、今日はイギリスの顔がすまなさそうに曇る。見れば、彼はいつもよりもさらに窮屈そうなかっちりとしたスーツに上質なネクタイ姿で、今にも出かけようとしていたと言うのが見て取れた。
「あ〜、悪い、アメリカ。今日は……」
「出かけるのかい?」
イギリスが詫びるよりも早くアメリカの問いが飛ぶ。それにちょっと眉を寄せたが、イギリスは咎めることなくそうだ、と言った。
「今日は一日留守だ」
「せっかく来たのに。つまんないな」
唇を尖らせる恋人に、イギリスは少しだけ嬉しそうな顔で、アポを取らないからだと叱った。
「もうすぐ出るのかい?」
「ん?いや、あと2時間くらいは大丈夫だ。茶でも飲んでいくか?」
そう誘われれば、せっかく大西洋を渡ってきたのだから少しは恋人の側にいたいという気持ちもわく。
だが、それを正直に表にはせず、アメリカは肩をすくめて見せた。
「君のスコーンがつかないんだったらね!」
「どういう意味だ!」
どういう意味も何も、そういう意味しかないだろうと心の中で突っ込む。イギリスは言われずとも分かっているのだろう、くやしそうにしながらもついて来いと言うように踵を返した。
今日は天気がよくないからサンルームではなくリビングへと通され、アメリカは自分の指定席になっているソファの前のロウテーブルに置かれた大きな花束を見つけた。
くすんだピンク色の包装紙に、紺色っぽいリボンでまとめられた花束は、美しい大輪のバラ。
それを眺めてしばらくすると、イギリスはティーセットを盆に載せてリビングに入ってきた。上着は脱いで、ベスト姿である。
「綺麗な花だね」
花束に湯気が行かないように気をつけながら配置されるティーセットを見ながら、アメリカは思ったままのことをイギリスに言った。途端、イギリスの顔が輝く。
「そうだろ?今年は特に綺麗に咲いたんだ」
ふわりと微笑むその笑みは、我が子を見つめるようなとろけそうな顔。それが花に向けられた物だと言うことに少しだけ面白くない気持ちになりながら、アメリカはやはりイギリス手製の花束だったか、と思う。彼は料理の腕はアレだが、こういったことは細やかにこなす。
「君が育てたんだね」
「ああ。さっき摘んだばっかだ」
つるりと瑞々しい花々には、露がまだ残っていた。少しだけ青い匂いが鼻に届く。
「彼女のために、今日まで育ててたんだ。ちょうど満開になってよかった」
イギリスが腕時計に視線を落としながら言った言葉に、アメリカの頬がピクリと引きつった。
「………彼女?」
「やっぱりこの時期のバラが一番だな」
他の時期のものも捨てがたいけどな、と呟きながらカップに紅茶を注ぐイギリスは、アメリカの眦がみるみるつりあがっていくことに気付かない。
「君ってやつは……」
「……アメリカ?」
アメリカの絞り出すような低い声音に、イギリスはやっと顔を上げた。目の前にいるアメリカが、紛れもなく怒りの表情を浮かべているのを見つけて、キョトンと目を丸くする。
「いけしゃあしゃあと!他の人に贈る花束を俺に見せ付けるのかい!」
「え?」
「君がそんな不誠実だとは思ってなかったぞ!」
「な、ちょ、ちょっと待てよ。何の話だ?」
イギリスはアメリカの剣幕の意味が分からず戸惑った表情を浮かべる。それがまた腹立たしく、アメリカは花束を顔に投げつけてやろうかと思った。
「だって、バラの花束だぞ!そんなのを贈るなんて、随分とご執心じゃないか!」
……その『彼女』とやらのために、せっせと庭仕事に精を出していたわけだ。自分と付き合っていながら。いや、自分のほうは遊びだったのか?
そう思って叩きつけるように言うが、イギリスは困惑した表情のまま、分かっていないようだった。
「だ、だって、彼女に贈るならバラだろう?」
……そうか。愛していると直球で伝えたいんだな。よく分かったよ。
そう考えて、アメリカは大仰にため息をついて見せて立ち上がった。
「アメリカ……?」
「まあ、せいぜいうまくやればいいよ」
「は?何を……?」
困惑している声に構わず、アメリカはさっさと帰ろうと思った。
こんなに着飾って、バラの花束まで用意する相手が自分以外にいたなんて、酷い裏切りだ。この場にいたら怒りのまま、何をしでかすか自分でも分からない。
「じゃあね、イギリス。『彼女』によろしく」
わざと強調して言い、立ち去ろうとすれば、イギリスは慌ててアメリカの袖を掴んだ。
「ちょっと待て。お前、これ誰に贈ると思ってるんだ……?」
「一々言わせるのかい?君の新しい恋人だろう!」
「なっ……」
不利むかないままのアメリカに叩きつけられた言葉に、イギリスは蒼くなった後、即座に赤くなった。怒りに。
「んなわけねえだろ!これは、陛下の誕生日祝いだ!」
「……陛、下?」
そう怒鳴り返され、アメリカは先に進もうとした足をぴたりと止めた。
くるりと振り向き、イギリスの顔を見れば、泣きそうな、怒ったような、必死そうな顔をしてこちらを見ていた。
「陛下って……。君のところの陛下は、4月生まれだっただろう?」
統治の長さゆえ、アメリカもさすがに覚えていた。王国の女王の誕生日は、確かに春だったはずだ。
胡乱な目で見つめるアメリカに、イギリスはぎゅっと逃げられないようアメリカの袖を掴みながら、そうだけど、と言った。
「うちじゃ、本当の誕生日のほかに、公式誕生日っていうのがあるんだよ」
王国は緯度が高く、冬が厳しい。真冬に生まれた国王は、誕生の式典を行うのが困難になる。それゆえに、冬生まれの王が、気候のよい季節に祝典を開くための公式誕生日を作ったのだ。もっともバラが美しい、6月に。
本来の誕生日は、女王は領地で家族と共に過ごすのが慣わしであった。
切々と説明され、アメリカの肩から一気に力が抜けた。
「なんだ……。そうだったのかい」
てっきり浮気か、すわ自分のほうが遊びだったのかと思った程だ。それを態度に出されて、イギリスは怒った顔でまくし立てる。
「よく見ろよ!バラはバラでも、ちゃんと白バラだろ?『尊敬』の色だ!」
「バラの花言葉はたくさんあって困るよ」
アメリカからしたら、バラを贈るのは愛情の証だ。それを言えば、『それは赤バラの花言葉だ!』と怒鳴られる。
「うちの国花なんだから、贈るのは当然だろ?」
理解されたことへの安堵と、誤解されたことへの不機嫌さをない交ぜにして言って、イギリスはちょっと俯いた。
「……それに、赤いのはちゃんと………」
「え?」
「な、何でもねえよ!」
呟きが聞き取れず聞き返せば、真っ赤な顔で怒鳴られる。意味が分からない。
とりあえず、今のは自分の勘違いだったのだと分かって、アメリカはふう、とため息をついた。
「じゃあ、今日は式典に行くんだ?」
「ああ。だから夜まで戻らない」
「じゃあ、待っててもいいかい?」
あっさりと言われた言葉に、イギリスは目を丸くしてアメリカを見る。
アメリカが特にふざけた様子もないのを見て、イギリスはぱちくりとまたたきした後、嬉しさにほんのり頬に血を上らせた。
「……遅くなるぞ」
「平気さ。ゲームは持ってきたからね!」
そう言って笑えば、イギリスは今度こそ嬉しそうにはにかんだ。
「分かった。じゃあ、待ってろ」
「ああ。あ、食事は適当に済ませるから、君は一切料理しなくていいぞ。むしろしないでくれ」
「……一言多いんだよバカぁ!」
怒鳴るイギリスにくすくす笑い、アメリカは不意に真面目な顔になってイギリスの頬を包んだ。
「いいかい?今日は君のレディに貸してあげるけど、君は俺のだからな」
言って、ちょんと鼻の頭に口付けると、言われたことを少し遅れて把握したイギリスが真っ赤になった。
「なっ……!だ、誰が!」
「反対意見は認めないぞ!」
さらに言えば、イギリスは真っ赤になりながらまんざらでもなさそうな様子だ。
それに笑って、アメリカは真っ赤なイギリスの頬をツン、とつついた。
「さあ。出かける前に俺にお茶を飲ませてくれよ。何しろ君の料理で美味しいのはお茶だけなんだからね」
からかっても、イギリスにはそれに怒鳴り返せる余裕などないようだった。
おう、とか何とか口の中でもごもご呟いて、真っ赤なまま注いだ紅茶を配膳するためにテーブルに戻るイギリスを見て、アメリカはこっそりと安堵のため息を漏らしたのだった。


そんな6月の曇天の下、7月4日に満開になるように入念に計算されて、『ミスター・リンカーン』がすくすくと育っていた。



※ミスター・リンカーン→四季咲きの真っ赤なバラ


エリザベス2世女王の公式誕生日によせて。

2009,06,13



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