トラウマ

10月31日、NY。
道を、魔女やバンパイアの格好をした子供たちがきゃあきゃあと騒ぎながら通るような、平和な住宅地のあるアパートから、突如けたたましい悲鳴が上がった。
「Noooooo!!何だいそれ怖いよ!怖すぎるよ!!」
突然そんな声が聞こえてきたものだから、子供達はびっくりして、顔を見合わせた。
「ねえ、今の何?何があったの?」
「怖いって、何がだろう……」
「だれか大人を呼んだ方がいいかな?」
声の感じは、ここにいる子供達よりも大きい、男の人の声だった。こんな悲鳴を上げるなんて、何か大変なことが起きたのかもしれない。助けを呼んであげた方がいいかも。
そう、口々に言い合う子供達の中、一人だけ冷めた顔の女の子が首を振った。
「いいの。彼、私のお隣さんなんだけど、ホラー映画とか見るときいつもあんな感じに叫んでるから」
窓開けて見てる時、丸聞こえなのよね。
大方今も、ドアとか窓とか開けっ放しにして叫んでいるのだろうと言った女の子に、何だ、と子供達は拍子抜けする。
「なーんだ。ただの怖がりか」
本気で心配した子供達は、安堵半分あきれ半分だ。
口々に、よかったとかびっくりしたとか言い合う子供達は最後に、その声に対して、一番言ったらいけないことを言った。
「大人なのに、かっこわるいな!」
そんな、『弱い者を守るヒーロー』を自称する者として、最も不名誉な感想を。


さて、その『大人なのにかっこわるい』声の主は、さんざん取り乱したせいで、念入りなメイクもぐちゃぐちゃになってちょっと間抜けな外見になっていた。
「お前、ちょっと騒ぎすぎだろう」
ああ、まだ耳が痛い、とからかう恋人に、アメリカはむくれながらコーヒーを突き出した。
「だって、君が怖いのを連れてきたんだからしょうがないじゃないか!」
「今日はそういう日なんだから当然だろ?」
イギリスは、ハロウィンのおどかしっこをアメリカとするために、自国で召還したお化けをアメリカの家まで連れてきた。
真っ黒で毛むくじゃらで、しわだらけのその生き物を見た瞬間、アメリカはドアを開けた瞬間にイギリスを脅かしてやろうと思っていたのを忘れて、悲鳴を上げて家の中に引っ込んだのだ。
断っておくが、逃げたんじゃない。ただの戦略的撤退だ。その証拠に、イギリスがリビングに入ってきたときにはもう、そいつはいなくなってたし。
イギリスは『妖精だ』と言ったが、絶対違うとアメリカは思う。あれは悪魔だ。アメリカの悲鳴を聞いて、嬉しさ半分、ショックで泣いちゃいそう半分な顔をしていた気がするが、そんなの気のせいだ。
「コレドは、確かに危険な奴だけど、つきあっていけばいい奴でもあるんだぞ?踊りとか好きだし、あいつらにいいことをしたらちゃんとお礼もくれる」
「絶対だまされてるよ!あれがそんなにいい生き物なもんか!」
コレドという妖精は、日本に昔教えてもらった『こぶ取りじいさん』の話に出てきた鬼とほぼ同じような逸話を持った妖精であるので、イギリスにしたらまだつき合いやすいと思えたが、アメリカは見た目でもうダメらしい。
こんなことじゃ、俺の国の妖精達とはまともにつきあえねえぞ、とイギリスは思うが、アメリカはそもそも普段は見えないから一緒なのかもしれない。
「にしても、何でハロウィンだけあいつらが見えるんだろうな」
「年に一回だけ君の幻覚が具現化する日だからな!」
「幻覚じゃねえ!」
いつもイギリスの近くにいるあの子たちは、あんなにかわいいのに。見えないのははっきり言って損だと思う。
「もういいよ。それより、今日は一緒に寝てくれよ!」
「えっ!……しょ、しょうがねえな」
恋人になってからは遊びに来たときはいつも一緒に寝てるくせに、改めて断られると気恥ずかしいのは何でだろう。
赤くなりつつも頷くイギリスに、アメリカはちょっとだけ安心した表情でコーヒーを飲んだ。別に、コレドにはもう帰ってもらったから、怖がらなくても平気なのに。こんな怖がり方をするのと、日々『妖精なんていない』と大声で言っているせいで、アメリカは彼らに嫌われているのかもしれなかった。
「にしても、何でお前ってこんなに怖いのダメなんだろうな」
心理系のホラーはまだしも、スプラッタ系のものに対するアメリカの怖がりようは異常だ。思った事をつい口に出してしまうと、アメリカは不意に表情を曇らせた。
しまった、言い過ぎたか、とイギリスは不安になる。恋人の機嫌を損ねるのはイギリスにはホラーなんかよりよっぽど怖い。
「いや、ただ疑問に思っただけだから、そんなに……」
気にすんなよ、と言おうとすれば、アメリカはふ、と微笑んだ。
「そうだね……。それには、あの時の事を説明しないといけないな」
「え」
いきなりシリアスモードで、遠くを見て語り出すアメリカに、イギリスはちょっと蒼くなる。何でいきなりニヒルに笑ってるんだこいつ。
「あれは、俺が初めて君とハロウィンを過ごした夜のことだったよ」
イギリスの疑問にも気付かず、アメリカは語りだした。


初めてのハロウィンは、アメリカにとって一番怖い思いをした日だった。何しろ、その日がどんな日なのかを、一切説明されないまま、お化けの格好をしたイギリスに脅かされたのだから。
もちろんアメリカは泣き叫んで逃げ回った。イギリスだと思ってドアを開けたら、お化けが中に入ってきて、いつの間にかメイド達の姿も見えず、家中を泣きながら走り回ったのだ。
子供の姿ながら、力だけは強いアメリカは、追いかけてくるお化けが息切れしながら「アメリカ、ま、待って……」と話しかけてきても、止まったら食べられると思って逃げ続けた。結局様子を見に来たメイドが見つけた時には、イギリス扮するお化けはバテて座り込んでいて、アメリカはピンピンしたまま、自分のベッドルームに籠城していたのだった。
立ち止まらなかったために、自分が逃げているのが、他ならぬ大好きなイギリスであると知るのに時間がかかったアメリカは、長時間怖がらせられたために、イギリスに添い寝をしてもらった。イギリスも、昼間はアメリカを追いかけ回す上に、大陸に住む英国出身の子供達にハロウィンのもてなしをしたりしていたから、疲れて夜も早いうちから一緒にベッドに入ってくれた。
事件は、ぬくぬくのベッドで二人眠りについた、その夜に起きた。
真夜中、アメリカはトイレに行きたくなって目が覚めた。
イギリスが『トイレに行きたくなるから止めとけ』と言ったのに、ついホットミルクをお代わりしてしまったせいだ。
「イギリちゅ……」
アメリカは、隣に寝ているはずのイギリスに一緒にトイレに行ってもらおうと思って声をあげた。しかし、隣から聞こえてくるはずの寝息が聞こえないことに気付いて、びっくりしてとび起きる。
アメリカに寄り添って寝ていたはずのイギリスが、ベッドから姿を消していた。まだベッドは暖かかったが、室内にアメリカ以外の気配がない。
「イ、イギリちゅ……?」
もう一度、おそるおそる呼んでみるが、全く返事はなかった。
耳を澄ませたアメリカは、その時に気が付いた。
階下から、何か鈍い音が、規則的に響いてくることに。
「…………」
ゴス、ゴン、と聞こえる音は、何だか斧を降り下ろしているときのそれに聞こえた。
「イ……」
ジワ、と涙が浮いてきて、イギリスの名をもう一度呼ぼうとするが、何となく声を出すのも怖くなった。
もう一度、毛布をかぶって寝てしまおうか。そう思うが、眠気が全然やって来ない上に、緊張してさっきより強くトイレに行きたいと思った。でも、トイレは下にしかない。
「う〜………」
どうしようか、ずっと悩んで、アメリカはそろっとベッドから抜け出した。トイレが我慢できないこともあったが、何よりこのまま寝ていたら、音の正体が気になって絶対に眠れないと思ったのだ。
もしこのままベッドにいたら、音の主が階段を上がってアメリカの所に来るかもしれない。そう思うと、怖くてたまらなくて、とにかくアメリカは足音を忍ばせて下に降りることにした。イギリスが下にいるかもしれないし、少なくとも使用人の部屋は台所の近くに作られている。
音は、台所からしていた。少し迷って、アメリカは、足音を立てないように一生懸命静かに、先にトイレへと向かった。
台所の怖さに気を取られて、暗いトイレも今日は怖くなかった。そそくさと用を済ませてしまうと、このままベッドに戻りたいという気持ちになってしまう。だが、このまま逃げて、台所の横に寝ている大好きな使用人達が襲われたら大変だとも思う。
結局、アメリカはこっそりと、台所をのぞいてみることにした。
グチ、グチャリ……。
いつの間にか、音は鈍いそれではなく、粘着質な物に変わっていた。なんだか硬い泥をかき混ぜているような音に、さらに怖くなりながらも、なんとかたどり着いて、ドアの隙間からのぞき込もうとした。その、瞬間。
ピカッ!
「ぴっ……!」
突然の稲光に、アメリカは跳び上がった。間もなく家をも揺さぶる落雷音が響いて、身を縮込ませる。
幸い、アメリカが漏らした小さな悲鳴は、ドアの向こうには聞こえなかったようだった。アメリカは、一刻も早くベッドに逃げ帰りたい気持ちを押し込めて、そっと中をのぞき込んだ。
ドアの薄い間からのぞき込んだ台所の中は、ほとんど真っ暗だった。ただ竈の火と、奥の作業台の上に置かれた小さなランプだけが灯りの代わりになって、室内をぼんやりと浮かび上がらせている。
窓辺にある、大きな作業台の前に、『それ』は立っていた。
ランプに照らされた『それ』が、作業台の方を向いて、なにやら一生懸命に手を動かしていた。『それ』が手を動かす度、グチャグチャと気味の悪い音が漏れる。
息を潜めて、アメリカからは大まかなシルエットしか見えない『それ』を、じっと見つめていた。ランプの明かりで引き延ばされた『それ』の影が、天井を這って、それ自体が何かの生き物のようだ。
いったい何をしているのだろうと、アメリカが目をこらした、その、瞬間。
再び稲光が走って、台所の中を照らし出した。
そして、アメリカは見たのだ。
作業台の上に乗せられた子牛の死体と、その腹の中に手を突っ込んでいる『それ』の姿を。
金色の毛はボウボウで、人っぽいシルエットをしていた。それが、子牛の死体を台の上に乗せて、一心不乱に手を動かしている。もしかしたら、食べているのかもしれない。
『それ』の全容を認めると、恐ろしさに体が強ばって、身動き一つとれなくなった。グチャグチャと響く音の正体を知って、何だか酸っぱい物が沸き上がってくる。
ガンガンと胸をたたく鼓動に、ジワリと背中と、ドアについた手のひらが汗で濡れるのがわかる。
「う……」
アメリカは、こらえきれず、ついに小さく声を上げた。
その声に呼応して、『それ』が、不意にゆっくりと振り向いた。
両腕(前足?)の肘の辺りまで、ぐっしょりと血で濡れているのが、竈の灯りでも分かった……。


「………………」
「その後は、必死でベッドに戻って、一人で震えて朝を待ってたよ。気付いたら震えるまま眠ってて、朝になってた」
イギリスに揺り起こされた時には、安堵のあまり泣き出してしまった。
燦々と降り注ぐ日の光を浴びると、何だか夢だったように感じたが、きっとあれはハロウィンでやって来ていた悪霊だったのだとアメリカには確信できた。
翌日、イギリスに教えてもらった魔除けのハシバミを、アメリカは庭に植えてもらえるように頼んだのだ。
「あの時以来、どうしてもスプラッタを見るとあの時のことを思い出しちゃうんだぞ!」
危うく食われるところだったからな!と必死で言い募るアメリカに、イギリスは。
「………そうか」
……悪いアメリカ。それ、俺だ。
その一言だけが言えず、ただ視線をそらしてぽつりと相づちを返した。
その日の事は、イギリスもはっきりと覚えている。何しろアメリカと過ごした初めてのハロウィンだったのだから。
今思えば、全然分かっていないアメリカに向かってケルト人の新年のお祭りだの、昔は日が暮れたときから新しい日が始まるから、これが新年の始まりだのと、小難しい事を言って混乱させてしまったと思う。
あの夜、クタクタになったイギリスは、アメリカにねだられたのをいいことに、つい早々にベッドに入ってしまった。
だが、夜半になって、次の日のご飯の支度を忘れていたのに気付いて起き出したのだ。
別に、メイド達に支度を任せてしまえばよかったのだが、イギリスが家にいる間は、できるだけアメリカにはイギリスの作った料理を食べさせてやりたい。そして、明日のお昼には、手製のキドニーパイを食べさせてやると決めていたのだ。
パイの中に入れる、牛の腎臓の煮込みは、今夜のうちに仕込んでおかないと間に合わない。
そこで、深夜起き出して、料理に取りかかったのだ。夜半に灯りをたくさんつけて、誰か起きても悪いから、最低限の灯りだけで調理をした。
使用人達には何も告げていなかったので、材料はもちろん用意されていない。子牛を裁くところから始めなければならなかった。
一応、作業用に羽織ったシャツの肘までぐっしょりと血で濡れて、洗い落とすのが大変だったが、大事な弟には無事に翌日のお昼を食べさせてやることができた。
まさかそのせいで、アメリカがこんなトラウマを抱える羽目になったとは、思いもよらなかった。イギリスがベッドに戻ったときには、小さい弟は丸くなって眠っていたし、調理中は夢中になっていたので、台所に覗きに来ていたのだとも気付かなかった。
アメリカは、翌日に食べたキドニーパイ&マッシュが、自分の恐怖の元だったなんて思いもしないだろう。
だが、今更そんなことはバラせない。バラしたところで、アメリカは怒るだけで、きっとトラウマはなくならないだろう。
「それは、怖かったな……」
「まったくだぞ!」
力なく、無難な感想をもらすイギリスの心中も知らず、アメリカは大きく頷いた。
とりあえずは、今夜はこいつが怖がらないようにくっついて寝てやろう。
そう思うイギリスは、今夜アメリカに『怖くて寝付けないから!』と言われて、深夜まで寝かせてもらえず、果ては腰が痛くて翌日起きられない羽目になるとは、考えもつかないのだった。




一日遅れましたがハロウィンSSです。
米英かどうかも怪しいですが、子メリカをかけて満足。

2009,11,01



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