New Years Day

ロンドン・アイの花火の下、熱狂した人々にあてられて、二人の唇が重なった。
ただ、それだけの事。


「……じゃあ、帰るよ。……えーっと、その……ありがとう」
「あ、ああ。……気を付けて帰れよ」
お互いがお互いのぎこちなさに緊張して、変にかしこまった距離感での挨拶を交わして、ドアが閉まった。
アメリカを玄関で見送って、イギリスはしばらく閉まったドアを見つめていたが、タクシーが走り去るエンジン音を耳にして、その場にヘたり込んだ。
年が明けてから今まで、ずっとこんな感じのぎこちない態度で過ごしていたのだ。お互いの顔色を読んで、お互いに遠慮しあうような、普段の二人では考えられないような張りつめた空気に、たった数時間でどっと疲れてしまった。
ロンドンでのカウントダウンに来たいと、言い出したのはアメリカだった。
例年クリスマスが終わった後はダラダラとツリーの片づけをして、春まで引きこもりのような生活をしているアメリカだったが、今年はどこかしらのカウントダウンに出かけたいと言い出した。そこで、イギリスはこちらのカウントダウンに参加してはと誘ったのだ。
ギリギリまでパブで暖まって、隣で飲んでいた人に『人混みの中に入るよりもここで新年を迎えては』と誘われながらも、せっかくの英国での年越しだからと花火を見るために外に出た。
花火なんて、祭りの日に見ることができる。でも、年越しのために集まった人々の熱狂を肌で感じるのが楽しかった。
実のところ、テムズ川での年越しは、イギリス自身久しぶりだった。普段はゆっくりと、暖かい部屋でテレビに映った花火を(一人で)眺めるのが通例で、液晶越しの風景はどこか現実味に欠けていた。
だから、忘れていた。『年が改まった瞬間には、近くにいる誰にでもキスをしていい』という習慣があった事を。
思い出した事に首まで真っ赤にしたイギリスは、いい加減玄関で座り込むのはみっともない、と思い直してよろよろと立ち上がった。取りあえずは部屋の掃除でもして、気持ちを落ち着けようとリビングに戻る。
普段は片付けてあるリビングは、アメリカが好き勝手に散らかしたせいでしっちゃかめっちゃかだった。持って来たまま、回収せずに放置された雑誌だの食べかけのお菓子だのをのろのろと拾っていく。雑誌はたぶん次に来ても読まないだろうから紐で括って捨てて、お菓子は食べるかゴミにするか決めて。
手を動かしていると何となく無心になれたが、不意に、ソファの上に鎮座している星条旗柄のクッションに指先が触れて、ピタリと手が止まった。
……唇が触れたのは、一瞬だった。いや、正確には長かったのかもしれない。どちらにしろ、イギリスが気が付いた時には、目の前に我に返ったアメリカの顔があった。その顔を見て数秒して、やっとアメリカにキスされたのだと自覚した。
そこに集まった人々がしていたから、ノリでしてしまったのだろう。アメリカも、たぶん自分も、バツが悪そうな顔をしていた。ただ、自分より少し温度が高かった唇の感触だけ残って、花火の音や周囲の喧噪が頭からすっぽ抜けた。
謝るのはおかしい。けれど流してしまえるほど衝撃が薄いわけではなく、かといって、どうしてと行為の理由を聞くのは何だか怖かった。
お互いが気まずさに目を合わせる事も出来ず、結局帰ろうと言い出したのはどっちだったか。
無料で運行している地下鉄に乗り込み、しんと静まり返った住宅街を、黙りこくって家に帰り着いて、交わす言葉も少なくそれぞれ部屋に戻った。
そして、明日からは通常通り出勤しなければならないので、アメリカは自国に帰って行った。ろくすっぽ会話もせず、でも何か言いたげに。
「……何なんだよ」
バカデカいクッションを見つめて、イギリスは拗ねた声で呟く。普段の、仲がいいとは言えないかもしれないが、気楽な距離感が台無しだ。たった一度の事故のようなキスのせいで。
理由なんて特になかったのは分かっている。ただ、その場の雰囲気に流されただけなのだと。なのに、何で物言いたげな視線でこちらを見るのだろうか。
謝ろうとしていたのだろうか。でも、そんな必要はないのだ。だって。
「……イヤじゃなかったって、何なんだよ……」
自分の気持ちが一番分からない。
衝動のままにクッションを掴んでソファに投げ付け、その後思い直してぎゅっと抱きしめた。
クッションの星の所に顔を埋めて、イギリスはぎゅっと目をつぶった。


しばらくは冷却期間を置けると思っていた。
なのに、駅からこの屋敷にタクシーでとんぼ返りするはめになるとは予想外で、アメリカは渋い顔でインターフォンを睨み付けた。
イギリスに呼んでもらったタクシーで、空港行きの路線が走っている駅までたどり着いて、初めて積雪のせいで飛行機が止まっている事を知ったアメリカである。普段ならばこの時期の移動の際は必ず情報を確かめるというのに、余程動揺していたのだと思い知らされる。
まあ、往復のタクシー代を無駄にしても、少しだけは頭を冷やす時間が出来たのは幸運だったかもしれない。無理矢理プラスに考えて、白い息を塊で吐き出した。
ほんの十数時間前。
年が変わった瞬間、イギリスにキスをした。
周囲の雰囲気に背を押され、その場のノリでしてしまったのは、認める。
でも、けっして、誰でも良かったわけではなかった。相手が彼だったからだ。誰彼なしにキスするほど、アメリカは軽薄ではない。
唇を離した瞬間、まん丸く見開かれた緑の瞳があって、初めて自分がした事を自覚した。こんな騙し討ちのように、彼と唇を重ねる事になるとは想定外だった。本当ならば自分の気持ちを伝えて、相手と心を通わせてからするべきなのにと、自分の失態に、柄にもなく焦った。
真っ赤になったイギリスの顔に、今ここで言ってしまおうかと思ったが、こんな所で言うのは何か違うと思うと口に出せず、結局はギクシャクしたまま、ほとんど何も言葉を交わさず客間に逃げ込んだ。そうして、ぎこちない空気を解消することも出来ずに、イギリスの家を出たのだった。
しばらく時間さえ経てばと思ったのに、どの面下げて『飛行機が飛ばないからもう少し泊めてくれ』と言ったものかと、タクシーの中からずっと憂鬱だった。
イギリスは、キスの理由をどう思っているだろうか。考えて、アメリカは重いため息をつく。
イギリスはアメリカが、周りの雰囲気に飲まれて(まあ、全くそうではないと言う事は出来ないが)ノリでしたのだと思っているのかもしれない。今の今まで、ずっと彼に想いを伝えられずにいたのだから、当然といえば当然だ。
今が伝え時なのか、それとも、今取って付けたような告白をするより、時期を見た方がいいのか。突然降ってわいたターニングポイントは、うまく立ち回らないと、自分の数百年の片想いが一瞬で玉砕するトラップ付きだ。
「………ああ、もう!」
ぐるぐると、寒さに耳や鼻の頭が痛くて耐えられなくなるまで悩んで、アメリカは結局答えが出ないまま、考えるのが面倒になってインターフォンを押した。悩んでも全く答えは見えてこないし、何より気持ちを伝える前に凍死するか不審者として通報されるかしそうだ。行き当たりばったりではあるが、イギリスの顔と反応を見てから考えよう、と思った。
意を決してインターフォンを鳴らしたが、数秒待っても玄関の灯りが点される事も、少し前に別れたばかりの家主が顔を出す事もなかった。
「……あれ?」
肩すかしを食らって、アメリカは首を傾げる。こんな雪の中、しかもニューイヤーズ・デーでどの店も閉まっているのに、外出したとは考えにくい。
「…………」
数秒考えたが、寒かったので結局勝手に門を開けて中に入った。ドアノブも試しにひねってみたら回ったので、声もかけずに中に入り込む。怒られたら『迎えに出なかった方が悪い』と言ってやろう。そうしたら、気まずさもうやむやになるかもしれない。どこか捨て鉢にアメリカはそう思いながらブーツで絨毯を踏んだ。
リビングには、煌々と灯りがついていた。
テレビの音も聞こえない。だが、使ってもいない部屋の灯りをつけっ放しにするのを嫌う彼だから、きっとここにいるのだろうと予想をつけた。
……今は、まだ言わないでおこうか。この期に及んでそんな考えが頭をもたげる。臆病風に吹かれるなんてヒーローとしてあるまじき事だが、ほんの昨日まで気持ちを秘めて茶化してきた態度を翻す踏ん切りがつかなかった。
そっと足を踏み出す。磨かれた革靴がソファからはみ出して見えた。
「やあ!イギリス……」
無理矢理繕った脳天気な声はしかし、相手の状態を把握して尻つぼみになった。
イギリスは、ソファにもたれるようにして、絨毯の上に座ったまま眠っていた。
彼も昨日眠れなかったのだろうか。うっすらと目蓋の下にくまをはいた瞳は、アメリカの声にも開かれることはなかった。
眠っている彼が抱きしめている物を見て、アメリカはじわじわと自分の顔が熱くなっていくのを感じた。
アメリカがおいて帰った、星条旗柄のクッション。しがみつくようにして、星柄の部分にキスするように顔を埋めて。
他にもクッションなんていくらでもあるし、アメリカがこれを持って来たときは『趣味が悪いから俺んちのリビングに置くな』なんて言っていたのに、愛しそうに抱きしめて眠っている。
大事な物のように抱きしめて眠る無防備な寝顔に、羞恥と嬉しさがない交ぜになった。まるで、イギリスがアメリカに恋しているようだ。
まさかね、とアメリカが思い直している間に、肌寒かったのか、イギリスが小さくくしゃみをして目を覚ました。
「イギ……」
何と声をかけるべきか分からないまま声を上げるアメリカに、数秒してから寝ぼけ眼が向けられた。
「……アメリカ?」
アメリカの赤くなった顔に首を傾げ、イギリスは相手の視線の先を辿って……抱きしめていたクッションをアメリカめがけて放り投げた。
「わ!何するんだ……」
「違う!違うんだからな!」
「へ?」
顔面にクリーンヒットして、テキサスが顔にめり込んだ痛みに顔をしかめながらの抗議は、イギリスの慌てた声によって遮られた。
ずれたテキサス越しの視界では、イギリスがイチゴのように真っ赤になって、プルプル震えていた。
「イ」
「て、手近にあったからなんとなく使っただけで、別に深い意味なんかないんだからな!お前の事気になって昨日は眠れなくて……って、違う!そうじゃねえ!」
しどろもどろになって、取り繕おうとすればするほど墓穴を掘っていくイギリスは、どんどん真っ赤になっていく。
そして、それを聞かされるアメリカも。
何と言っていいのか、何を自分が言いたいのかも分からず黙り込んだアメリカを、イギリスは呆れていると勘違いしたようだ。涙腺が弱い彼は、緑の瞳にこぼれそうな程涙を浮かべて、唇を噛んで黙り込んだ。
数時間前と同じように、ぎこちない沈黙がリビングに流れる。いや、今度の沈黙は先程のものと違い、どこか気ぜわしい。
お互い真っ赤になりつつ見つめあって、やがて口を開いたのはアメリカの方だった。
「……本当に、違うのかい?」
「え」
「『俺の事気になって』って。……本当に、『違う』のかい?」
慎重に言葉を選びながら問うと、イギリスの顔が苛められた子供のように歪んだ。
「……何、言わせたいんだよ」
視線を逸らして、涙混じりの声でイギリスは呟く。警戒心露わな彼が、退路を探すように視線を巡らせているのに気付いて、アメリカは思わずその腕を掴んだ。手袋を外さないままの手に掴まれて、イギリスの目が丸くなる。
「言わせたいんじゃなくて、言いたいんだ」
精一杯落ち着いた声を出したつもりが、口から出たのは必死そうな上擦った声だった。それを恥ずかしいと思う余裕すらなく、アメリカは息を吸い込んだ。
……まだ、ほんの少しの逡巡は残っている。だが今言わなかったら、きっと彼との間に耐え難い程の溝が出来てしまう。だから。
「イギリス。俺は、君が、」
アメリカは、まっすぐにイギリスを見つめて、告げた。
言い切った瞬間、緑の瞳から透明な雫がこぼれた。
そして。
ほんの少しの、でもアメリカには永遠にも感じられる間の後、イギリスの唇は、アメリカの望む言葉を紡いだ。




新年ネタのSSです。
遅すぎるだろ、と思いつつ、でも書きたかったので書いてみました。
松の内どころか、鏡開きになっちゃいましたが……。
ニーニんちの新年は2月だから!とか言い訳してみます。←

2009,02,11



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