エスコート

ヒーローの勤めの一つに、ヒロインをエスコートすることも含まれると思う。
たとえば、重要な記念日。数々の来賓の前で、スマートに恋人の手を引いて場の中心に現れる。そんな役どころが、ヒーローたるアメリカの権利であり義務であると信じ切っていた。
よって、アメリカは誕生日前日の朝を迎えたイギリス邸に、自家用の飛行機でやって来たのだった。
招待して、戸惑いながらも来てくれた数十年前。告白して、付き合い始めて、自分から喜んでパーティに来てくれるようになってまだ数年。そして今年は、『かっこよくて仕方ない恋人に飛行機で迎えに来てもらって最高に幸せなイギリス』を演出してみようというわけだ。反対意見はもちろん認めない。
イギリスと付き合い始めてしばらく後、イギリスに(半ば強引に)作ってもらった裏山の駐機場へ首尾よく乗り入れ、イギリスの家の一部である山を軽い足取りで下る。庭木を傷めない場所を選んだため、駐機場からイギリスの家までは数十分の距離があった。
普段ならば家にたどり着くまでの間に、アメリカの飛行機が降りて来ようものならすぐさま屋敷を飛び出し、領地をいたずらに傷付けて着陸しなかったかを確かめに来るイギリスの姿が見えるはずだった。そうして、屋敷に着くより早く顔を見られた恋人に向かって『俺がそんなドジなことするわけないじゃないか!』と言って頬を突いてやるのが普段のやり取りだ。だが、今日は屋敷が間近に見えても彼が走ってくることはなかった。
さすがのイギリスも、何度も離着陸を繰り返し、アメリカの腕前を認めたのかもしれない。そう思えば気分がよくなったが、屋敷の目の前にまで来たアメリカは、屋敷の窓もカーテンもきっちりと閉じられ、施錠してあるらしい様子を見て青くなった。
もしかして、自分の誕生日のため、すでに家を出てしまったのかもしれない。
イギリスのことだ。ぎりぎりに着くよりは余裕のある出発を好むだろう。そして、空港へも余裕を持って行きたいと考えるはずだ。
疲れる思いをして飛行機を操縦して迎えに来たのに、恋人のスケジュールを把握していなくてすれ違うなんてとんだ間抜けだ。ちょっと情けなくなって、念のためイギリス本人に電話で所在地を確かめようかと思いつつ庭に近付いたアメリカは、それが自分の思い過ごしであることに気付いた。
「あああ、もうこんな時間じゃねえか!もうそろそろ出ねえと……。あっ、せっかく鍵閉めたのにプレゼントテーブルに置いてきちまった……!」
おろおろと半泣きで独り言を言うイギリスの声が耳に飛び込んできたのだ。どうやら、そろそろ出ようと思ったのは確からしいが、準備に手間取って余裕をなくしているらしい。アメリカの飛行機がもたらす爆音にすら気づかない程に。
ほどなく、小走りで台所に続くドアに駆け寄りつつ懐を探っている小柄な後姿が目に入った。時計を見るか鍵穴を見るかどちらかにした方が明らかに効率がいいのに、交互に眺めるものだから物凄く手際悪く鍵を開け、イギリスは屋敷の中に滑り込む。ドアを閉めることすら忘れているようで開けっ放しだ。
ほどなく、大きな紙袋と、これまた大きな花束を持って戻ってきた彼は、声をかけるかどうしようか迷っていたアメリカにも気付かない様子だった。
「なあお前達、頼む!このバラが向こうに着くまでしおれないように魔法をかけてくれ!」
そう言って、何もない中空を見上げる。また見えない友達としゃべっているらしい。呆れながら見ていると、イギリスは見る見るうちに泣きそうになって頼む、と繰り返した。
「頼むから。どうしても向こうまできれいなままで持って行きたいんだ」
どうやら、幻覚に断られたらしい。想像の中ではせめて自分に都合がいいようにすればいいのに、何であえて悲しい目にあっているのだろう。思いながら、アメリカはいよいよ声をかけようかと思った。
だが。
「お前らが、あいつのこと嫌いなのは知ってる。けど……あいつのこと喜ばせたいんだ」
好きだから、と、耳まで真っ赤になって涙目で呟いた恋人に、アメリカも頬が紅潮するのを感じる。実に恥ずかしいひとだ。そして……、とても愛しい。
「……あっ、ありがとな!お土産にお菓子買って来てやるから」
何やら、交渉が成立したらしいイギリスの笑顔を見ながら、アメリカは大股で一歩を踏み出した。
「イギリス!」
「へ……あ、アメっ…!」
唐突な登場にイギリスの声がひっくり返る。
目を白黒させながら、耳どころか見える範囲全部を真っ赤にして見つめてくるイギリスに、出来るだけ平静を装って歩み寄る。
「お、おまっ、なん、何で……っ!」
「ちゃんと意味が分かるように喋ってくれよ」
あんまりなうろたえっぷりに吹き出しながら言うと、涙目で真っ赤なまま口をパクパクさせる。折角魔法をかけてもらった(らしい)バラの花束が、抱きしめられてちょっとへしゃげた。アメリカに贈られる予定の、真っ赤なバラの花。たぶんイギリスはそれに気付く余裕もない。
そんな恋人の、年上なのに幼い言動に笑みを堪えきれなくなりながらアメリカはもう一歩踏み出した。
「ところで君、俺んちに来てくれる予定なんだよな?」
「えっ……。あ、…ああ」
近くなった分だけ赤くなっていく気がする顔を見ながら言えば、イギリスはぎこちなく頷いた。
「それにしてはのんびりしすぎじゃないかい?次の便を逃したら、次のブリティッシュ・エアウェイは3時間後だぞ?」
言ってみると、イギリスはぎょっとした顔で時計を見た。航空会社を選ばなければ、ケネディ空港までは日中は割と密に運航しているのだが、イギリスは頑として自国の航空会社を使う気らしい。予想通りの反応に、アメリカはにんまりした。
「しかも、インディペンデンス・デーの間は観光客も増えるからなあ。次の便は満席かもしれないぞ」
「いや、ちょうど、鍵閉め終わって出るとこだったんだよ!」
「うん。ついさっき君が開けたとこは鍵閉め忘れてるね」
むしろ、ドアごと開けっ放しだ。それを自ら振り返って確かめて、イギリスはぎゃあ、とかなんとか、素っ頓狂な悲鳴を上げた。慌てて閉め直しに行くのをアメリカは笑って見守る。
「……っていうか、お前は何でここにいるんだよ。準備とかあんだろ?」
照れ隠し半分、本当に疑問に思っているのを半分と言った調子でイギリスが尋ねる。アメリカは一瞬キョトンとして、ここに来た目的を恋人に教えてあげようと思い立った。
そう。『世界一かっこいい恋人にエスコートされて、パーティ会場へと続く魅惑のフライトを楽しむ』という、この上なく幸せな経験をさせてあげるのだと。
そう、甘い声音で口にしようとした瞬間。
「ちゃんと万全に準備終わってんのか?去年みたいに『シャンパングラスが足りない』とか当日になってから言い出さねえだろうな?去年使ったやつ、クリスマスにいくらか割れちまっただろ?」
「……うん。割ったのは酔っぱらった君とフランスだけどね。ちゃんと足しておいたよ」
落ち着いたかと思えばすっかり保護者モードでまくしたてられ、アメリカの中の甘い空気が一気にしぼむ。それに気付かず、イギリスはそうか、と言って、また時計を見た。
「って、やべえ。そろそろ出ねえと」
マジで乗り遅れる、と言いながら花束を持ち直したイギリスの腕を、がっしりと掴んだ。
「?どうした?」
キョトンとした顔に、アメリカはため息をつきたくなる。何でこのひとここまで鈍いんだろう。っていうか、さっきの『何でここにいるんだ』って質問の答えは聞かなくていいのか。
ぐるぐる考えて、アメリカは唇を尖らせながら言った。
「今から出かけても、どうせ君の事だから忘れ物に気付いたりして乗り遅れるんだろ?」
「ばっ、そんなことねえよ!ちゃんとチケットだって持ったし……」
「とにかく!」
言い返そうとするイギリスを遮って、アメリカはイギリスの顔を覗き込んだ。
「乾杯の時に恋人不在なんて恥ずかしい目にあうのはごめんだから、俺の飛行機に君も乗せてってあげるよ!」
「……は?」
イギリスが目をまん丸くする。その顔に、自分が予定と全く違うことを言っていることに気付いて頭が真っ白になる。こんなの全然スマートじゃない。かっこよく『君を迎えに来たんだぞ』と言ってイギリスを後部座席に招こうと思っていたのに。
そう思って、なんとか軌道修正しないと、と考えるアメリカを、イギリスはじっと見つめて。
「……こ、恋人って……」
何だか今更なことで照れて真っ赤になった。
その反応に一気に冷静になったアメリカは、今度こそ本当にため息をついた。
「君、何年俺と付き合ってるんだい……」
「だ、だって……」
「……まあ、そういうわけだから。一緒に行くんだぞ」
「……ん。」
こくこくと、ぎこちなく頷くイギリスの手を引いて歩き出す。どうにもしまらないエスコートだ。スマートさなんてかけらもない。
そう思い、来年のリベンジを心の中で誓ったアメリカの手を、イギリスがおずおずと握り返した。
その、微かだが確かな反応に、アメリカはちらりとイギリスを振り返り。
彼の、心から幸せそうな、はにかんだ笑顔を見つけた。
「…………」
今年は、ちっともスマートなエスコートは出来なかったわけだけれど。
イギリスをお手軽に『この上なく幸せな』気分に出来たようだから、まあ、よかったかな、と思い直した。




ギリギリでもセーフと言い張ってみる。

2011,07,04



+ブラウザバックで戻ってください。+

[PR]動画