一年の計

12月31日、23時40分。
警視庁捜査一課のデスクで、腕時計の差す時間をこっそり見やった下がり眉のネゴシエーターはこっそりため息をついた。
あともう少し、あと二十分で年が改まる。
それを確かめて、真下は書きかけの報告書に視線を戻しつつ、ここ数日顔も見れていない恋人を想った。
世間ではそろそろ、家族や友人や、恋人と、日付が変わるのを待っている頃だろう。
なのに自分は報告書とにらめっこしていて、その報告書の内容がまた、どこかの誰かが痴情のもつれで首を絞められて殺された、とかそういう内容で。
もちろん仕事がなかったところで恋人は仕事だし、自分以上に忙しかったりするので、一緒に過ごすなんてとてもじゃないが無理だけど。 それでもやっぱり、ため息ぐらいは漏れてしまう程度には、真下も人の子だったりする。
………少しは、会いたいとか思ってくれるかな。
そんな事をちらりと思ってみて、そんな事を言ったら恋人は「何をバカなこと言ってるんだお前は」と心底呆れた目で返すだろうことまで想像して、さらに気分が下向いた。
多分きっと、自分と違ってクールでドライな恋人は、自分のことなど少しも考えずに仕事をしているに違いない。
その姿もまた自分が愛してやまないものではあるが、何かの記念日とか、行事の折には一緒に過ごしたいと少しでも思ってほしい。
そんな、自分でも子供っぽいと思うような矛盾したことを考えながらペンを動かすと、眉間のたてじわがトレードマークの管理官が資料を片手に、自分のすぐ近くに座る捜査員を呼び寄せた。
資料を見ながら細かくよどみなく指示を出している姿を見て、真下は彼の恋人である、湾岸署の暴走刑事の事を思い出す。
きっと彼も今、恋人と会えない寂しさを噛み締めているに違いない。
そして目の前の管理官もまた、自分の恋人と同じく、もうすぐ日付が変わることなどお構いなしで仕事の事だけを考えているのだろう。
……お互いちょっと寂しいですね、先輩。
そんな風に、部下ではあってもどうしても頭が上がらない人物に心の中で話しかけて苦笑する。
もっとも、自分たちは官舎に住んでいるので、彼らよりも確実に頻繁に顔を見る事ができてはいるのだが。
次に自分たちが会えるのは何日になるんだろうと思いながら手を動かしていると、不意に誰かの携帯電話が鳴り出した。
真下のものではない。彼の携帯の着信音は、職場で鳴っても他人のそれと聞き分けられるように違うベル音が鳴るように設定してある。
だから顔すら上げずにいたのだが、さっきまで自分の同僚に指示を出していた尊敬する管理官が、周りに気づかれたくないというようにそっと、でも明らかに急いだ感じで書類を机の上に放って立ち上がったのを視界の端に捕らえて、真下は思わずそちらを向いた。
そして。
その表情が、ちょっと柔らかくなっている事に気づいて。
彼が急いで、書類を放り出して、席を立った理由が分かった。
思わず笑ってしまいそうになる顔を隠すために報告書に視線を戻した真下の後ろを通りながら、オールバックの管理官は通話ボタンを押す。
「……室井です」
小さな声でそう名乗る声がとても優しい響きで、真下は一生懸命笑いをこらえて廊下に出る彼を背中で見送った。
………そうか、会えないからせめて電話してきたんだ。
そう納得して、真下はちょっとうらやましい気分になる。
もし自分がこんな時に電話をしたら、「仕事をサボるんじゃない!無駄な事をやってないでさっさと戻れ!」と叱られる事は必至で。
明けましておめでとうを言う前に、速攻、30秒以内に電話は切られてしまうだろう。
ちょっとだけでも声が聞きたいとは思うが、もし下手に怒らせたら、正月中どころか一ヶ月ほども口を利いてもらえなくなったりするから、自分には電話をかけるなんて事は不可能だった。
………それでも、年越しに少しでも僕の事思ってくれたらな。
一年の計は元旦にあるというし、少しも自分のことを省みてもらえない元旦なんてむなしすぎる。
そう思いながら時間を見るつもりで携帯を開いた真下は、ディスプレイのすぐ下にあるメールボタンに目を留めて、少しだけ眉を持ち上げた。
………メール、送ってみようかな。
そう思いついて時間を見ると、23時58分。
後二分で、年が明けてしまう。
あわててボタンを押して、真下はメール作成画面を呼び出した。
長文なんて打つ暇がないし、何より仕事中だ。膝の上に携帯を置いて、周りの目を気にしながら急いで文章を打つ。
普段はパソコンのメールが主なのでちょっと打ち辛くはあったが。

『明けましておめでとうございます、新城さん。
今年もよろしくお願いします。
年越しを一緒に過ごせなくて残念です。年越しそば一緒に食べたかったな。
今年があなたにとって幸せな一年になりますように。

愛してます。
真下正義』

ただ簡潔に、伝えたいことだけを打ち込んで、すでにメモリ番号を記憶済みの恋人のアドレスを呼び出した。
腕時計を見ながら心の中でカウントダウンをして、0時きっかりに送信ボタンを押す。
押した後で、そういえば年が改まる瞬間はメールが爆発的に多くなるから送信は控えるようにとNTTがテレビで言ってたな、となんとなく思い出したが、この際気にしない事にする。
そもそも繋がるのかも不安だったが、必至に念じたおかげか、日頃の行いのおかげか、いつもより少し時間はかかったがちゃんとメールは届いてくれた。
ほっとして携帯を閉じ、ふと横を見ると、同僚がこちらをじっと見ており。
ばつが悪そうに微笑んで見せると、別に何も言わずに相手は苦笑して自分の仕事に戻っていった。
警察だって人の子だ。大切な人に明けましておめでとうとメールを打つくらい仕方がないと割り切ってくれたのだろう。
そう思ってほっとして、真下は携帯を胸ポケットに戻して報告書に向き直る。
そして、残りの必要事項を記入してほっと息をついた時。
胸ポケットの携帯が、メールの受信音を、室内に響かせた。
大慌てで携帯を取り出して確認ボタンを押す。
そして、新着メールの差出人の名前を見て、目を丸くした。
思わず声を上げそうになるが何とかこらえる。ドキドキしながら確認ボタンを押す。
だって、まさか。
仕事中のはずなのに、自分のプライベートなメールに返事をしてくれるなんて。仕事中じゃなくても、プライベートなメールだと返事を返してくれない事がよくあるのに。
信じられない思いでメールを開く。
件名はなく、本文は短かった。

『ちゃんと仕事をしろ。そういうのは仕事の後直接口で言え。

初詣には付き合え。
明けましておめでとう。
新城賢太郎』

好きだとか愛してるとか、一言も書いてくれてない、お叱り半分の返事。
でも、きっと部下の目を盗んで、大急ぎで打ってくれたのだろう。
いつもの、憮然とした、面倒くさそうな表情で。
その場景を思い浮かべて、真下は思わず顔をほころばせた。
短いけれど、ちゃんと自分のために打ってくれた文章が、とてもとても嬉しかった。
……よし、今年も頑張ろう。
メールの短い文章を糧にしてそう思い、真下はもう一度報告書に向き直る。
その笑顔を見て、同僚たちが少しうらやましそうな表情を浮かべていたが、彼は全く気づきもしなかった。

その数分後、恋人からの年越し電話にて『愛してます』と耳元で(電話だから当然だ)囁かれてしまった管理官が「……さっさと仕事に戻れ!」と叫ぶ声が廊下から聞こえてきたのだが、幸せ絶頂の真下は完全にそれを聞き流したのだった。

2004,1,8



年越し・真新版です。
青室版は同人誌に掲載しておりますがこれオンリーでも大丈夫だと思われます。一応つながってますが。
なんとなくネタができたので書いてみました。
何というか、私の中の真新は「漢(おとこ)らしい新城さん(ただし受)と、乙女臭い真下(それでも攻)」という感じの関係です。
新城さんが亭主関白なため、真下がどんどん乙女っぽくなっていきます(苦笑)。
たまには新城さんをちゃんと受っぽく書くつもりですが。
ほんわかと甘い感じにしようと思ったのにあんまり甘くないのは私の力量不足(涙)。

皆様、本年もよろしくお願いいたします。



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