バレンタイン商戦

2月某日。
風呂から上がってきた新城は、フローリングの床の上でテレビを食い入るように見ている恋人の姿を見つけて怪訝そうな顔をした。
やっているのはたぶんニュース番組だ。次の番組のために自分が風呂に入る前にチャンネルを合わせて行ったし、目の前の恋人はわざわざそれを変えて裏番組を見ることはしない。
ただのニュースのはずなのにこんな風に食い入るように見つめている理由は何なのかと思えば、テレビの中ではやけにハイテンションな女性レポーターが、どこかのデパートの地階で中継を行っている。
《こちらのお店では、ちょっと珍しい日本酒入りのチョコケーキを売ってるんです!》
明らかに地声より高いと思われる甲高い声と共にレポーターの手と洋菓子店のショーケースが映る。
その画面の右上に映ったテロップを読んで、新城は真下が真剣にテレビを見つめている理由を理解すると共に思い切り顔をしかめた。
『バレンタイン直前!デパ地下スイーツ特集!』
そんな番組を見たところで、新城はそう言えばもう二月に入っていたなと思う程度で。
『バレンタインなんてそんなもん、職場の女性から、大して量も入ってないのに妙にかさばる箱を押し付けられて、それをある程度愛想良く受け取らなければならない苦行の日以外の何だと言うんだ』と言う認識以外はないのだが。
いかんせん、目の前にいる男は、クリスマスイブに帝○ホテルのディナーを窓際の一番良い席で予約し、その席で「大した物じゃないんですけど……」等といいながらプラチナのカフスとタイピンの箱を差し出し、挙句スイートの部屋を予約していやがり、あまつさえルームサービスでドンペリとイチゴなんてこてこてな物を頼んでくれた、『行事はちゃんと楽しまないと』なんていけしゃあしゃあとのたまうタイプな男なわけで。
もう、きっぱり、はっきり、何を考えてこの番組を見ているかなどという事が明らかに分かりきっていて、新城は苦虫を噛み潰したような顔をしながら、リモコンのボタンを潰すような勢いで押してテレビの電源を切った。
「えっ……。あれ? どうして消しちゃうんですか新城さん」
いつもの間延びした調子で不思議そうな声を出す真下は、振り返って新城の顔を見るなり叱られた小心者の犬のような顔をした。新城とこんな仲でいられるくらいは、真下は相手の気持ちを察する能力を持っていた。
「えっと……」
それでも、心底悪いと思っている様子ではなく、ただばつが悪そうな感じの真下に、新城がいやな予感を覚えた時。
「新城さん、あの〜。……チョコ、とか。くれません、よね?」
新城のいやな予感を読んだかのように、真下はおずおずと顔色を伺いながらも、ちょっとだけ期待をにじませた笑顔で、そう言って来たのだった。
「………」
新城は眉間にしわを寄せた。それはもう、眉間のしわでは定評がある、今現在真下の上司で、湾岸署のバカ犬の飼い主であるあの人のように。
その眉間のしわを見て、真下の下がり眉がさらに下がる。上目遣いで、『怒る?怒る?』と目で訴えてくる。
そんな情けない表情にもいやそうな顔を崩さないで、新城は無言のまま消したテレビをもう一度つけた。ぷい、と真下からわざと視線をはずして。
テレビに視線を移してソファに座った新城に、少し及び腰になりながらも、真下はおずおずと近づいて、新城の横に腰を下ろした。
「あの、新城さん……」
「真下」
もう一度多分同じ事を繰り返すだろう言葉を遮って、新城は憮然とした声で名前を呼んだ。
「はい」
声の調子で断られる事を察したのだろう、しょんぼりした声で真下が返事をする。
「お前の性別は何だ」
「……男です」
「僕は」
「………………男、です」
「……………………」
「…………ごめんなさい」
じろりと右下から睨んでくる新城に、真下はしょんぼりと肩を落として謝る。
それにため息ひとつで答えた新城は、ほんの少し真下に寄りかかる格好でソファにもたれてニュースの続きを見る。
そんな風に軽くでも自分に寄り添ってくれる新城に少しは気分が復活したらしく、真下は少しだけ嬉しそうに笑った。
それでも、まだまだ未練たっぷり、へこみ調子の苦笑顔ではあったのだが。
それを、CMが流れている間に本人に気づかれないように確認した新城は、始まった目当ての番組に集中して、この話を終わりにした。
………はず、だった。


週末の新聞に大量に挟まれたチラシ、ふと通りかかったコンビニの店頭、至るところで『バレンタインですよ〜!』と主張していて、目に入らないのがおかしいぐらいだ。
そんなにチョコを買わせたいか、と呆れるほどに主張しまくるチラシやポップやポスターが、一緒にいるときに、ふと目に触れる度に。
真下は、先日と同じように、期待半分、諦め半分の表情で、新城にお伺いを立ててくるのだった。
「あの、新城さん。バレンタインなんですけど……」
愛想笑いもだんだん苦しくなってくる真下に、新城は憮然とした表情で答える。
「やらないと言ってるだろう」
何度も聞くな、と不愉快そうに言う新城に、真下はいつもいつも、しょんぼりとして謝る。
「……はい。ごめんなさい」
謝る声が、心から落胆しているのを如実に語っていて。
しかも、その落胆っぷりが、だんだんとひどくなって来ているのも感じて。
新城は、その声を聞く度、『何でこんなに欲しがるんだ』と呆れつつ、ほんの少しずつ。
本当に、ほんの少しずつ。
『男なんだからチョコなんて死んでもやるか』という気持ちが、『こんなに欲しがっているわけだし、男らしくスパッとあげてしまえばいいんじゃないか』に、スライドしてきてしまった。
もちろん、その気持ちが強くなってこようと真下への断りに躊躇のかけらも見せないところが新城らしいといえるが。
そんなふうに、だいぶ気持ちがぐらつきながらも、これだけ『やらない』と言い切ってしまった以上、チョコを買いにわざわざ店による事なんてする気にもなれず。
バレンタイン当日、官舎に帰る直前まで、チョコを渡さないままで済まそうと思っていた新城は、駅を出て歩道に出るなり見慣れたモスグリーンのコートの大男を視界の端に捕らえて、物凄く厭そうな顔をした。
視線の先で、湾岸署の駄犬は寒そうに背中を丸めて、それでも顔は幸せそうにやに下がって歩いて行き。
わき目も振らず、官舎の方向に向かっていった。
歩くというより小走りだった男はさっさと視界からいなくなり、新城は憮然とした表情で男の向かった先を推測してため息をつく。
バレンタインなんてものを祝うために普通あんなに急ぐか。
実際のところ彼が嬉しそうだったのはバレンタインだからでなく久しぶりに会えるからだったのだが、そんな事は全く知らない新城は呆れながら家路を急ぐ事にする。
そんな新城が、通りかかったコンビニの『バレンタインフェア』という文字に、思わず、今日は先に帰って部屋で待っている恋人のしょげた顔を思って、店内に視線をやった時。
ついさっき走り去った男の恋人である黒いコートの管理官が、苦虫を噛み潰したような顔をしてチョコレートを睨んでいるのを見つけて、新城は思わず足を止めた。
新城の視線に気づくことなく、彼は困ったような恥ずかしそうな表情でチョコを睨みつけており。
横を他の客が通り過ぎるのにちょっとびくっとして、また数秒チョコを睨み、ぎゅっと唇を引き結んで。
チョコを一つ、選び取った。
そして速攻、この時間帯にしては珍しくすいていたレジに、ビールやつまみの袋の下にチョコを押し込んだ買い物籠を突き出す。
清算する間、絶対に店員と視線を合わせずに、彼は顔を赤くしてレジ袋を受け取った。
そんなふうに清算を済ませてすぐに店を出た彼は、店の前にいる新城にも気づかない様子で、足早に官舎に向かって歩いていく。
その一部始終を見ていた新城は、ぼんやりとその後姿を見送り。
またも、恋人の寂しそうな笑顔が頭によぎって、顔をしかめた。
そして。


「お帰りなさい、新城さん。お風呂もご飯も準備できてますよ〜」
いつものように、まるで亭主関白な夫の妻かドラマに出てくる新妻のように出迎え、手を差し出す真下へ当然のように自分の鞄を渡した新城は、年中へなちょこで下がり眉なこの恋人が、鞄以外に何も持っていない新城の様子に、明らかにがっくりしているのを見て、顔をしかめた。
「やっぱりチョコくれないんですか〜?」
半泣きの声に、ふん、と鼻を鳴らして新城は気にせず部屋の中に入る。
それに従う真下に当然のようにコートを渡し、真下はそれを当然のように受け取って、鞄を部屋の入り口近くに置いてコートをハンガーにかけに行く。
「僕ちょっと楽しみにしてたのに〜」
「……うるさい」
ハンガーにコートをかけながらぼやく真下に新城はしかめっ面で返し、真下はしょんぼりと肩を落とす。
それに小さくため息をつき、新城はさっさと風呂に向かった。
着替えも持たずに風呂に入っても、真下が全部用意してくれるので、新城は何も気にせずに中に入る。
風呂に入る時は一人だし、入って出て来る間に真下も諦めているだろうと思ったのだ。
だが、いつもよりゆっくりと風呂に入り、当然のように真下が用意した着替えを着てリビングに戻った時、まだ真下はしょんぼりと肩を落としてテレビを見ていた。
しかもまた、バレンタインの話が最初に話題に上がった時のようにニュース番組で、今度は『バレンタイン商戦の結果は?』などとテロップが打たれている。
普通なら、新城が風呂から上がってきたらすぐに、やっぱりドラマの新妻のように食事の準備をするべく立ち上がる真下が、肩を落としたままニュースを見ていて。
その背中が、しょんぼりと、そしてこっそりとため息をついたのを見て、新城は床に置いてあった鞄を手に取った。
「真下!」
「はい!」
鋭い呼ばわりに脊髄反射的に返事をして振り向いた真下の顔面に、直方体の物体がめり込んだ。
物凄い勢いで飛んできたそれが思い切り鼻にぶつかり、真下は痛みと驚きに目をつぶる。
膝の上に落ちたそれは軽かったが、何しろ顔面にきっちり直撃しただけに結構衝撃はあり、真下は小さく呻きながら鼻をさする。
そんな彼に、物体を投げつけてきた張本人が鼻を鳴らして言った。
「……満足か」
「は?」
顔面に物を投げつけておいて満足かとは、一体どういうことかと。
わけが分からず、鼻を押さえながら膝に落ちた物に目をやった真下は、痛みに細めていた目を限界まで見開いてそれを凝視した。
そしてそのままの表情で顔を上げて、口のあいた鞄を片手に仁王立ちしている人物の顔が、それはもう盛大に赤くなっているのを発見して、ぽかんと口を開ける。
どこか悔しそうな、一生懸命照れているのを隠そうとして見事に失敗している仏頂面の新城は、間抜けな表情でぼんやり見上げてくる年下の恋人を睨みつける。
「……満足か?」
もう一度、ひどく不機嫌そうな声で繰り返した彼が、これでも精一杯努力した結果なのだと全身で語っていて。
「はい!」
真下は、コンビニの値札がついたままの板チョコを膝に乗せたまま、嬉しさに顔を赤くして叫んだ。
その間の抜けた声での返事に、新城は自分の顔が赤くなっている自覚がないまま胸を張って誇らしげに微笑んだのだった。
「……全く。お前のせいでバレンタイン商戦に一役買ってしまったじゃないか」
そんな、素直じゃない言葉を機嫌悪そうに言いながら。

2004,2,15



バレンタインマシンです(何の機械だそれ)。
「猫堂院さん? 行事の駄文って当日までに上げるものじゃないんですか?」なんて突っ込みは受け付けない方向で(現在午前3時)。
書きたかったのはラスト部分。よってラストだけが先に出来上がり、最初を一生懸命に書き、何故か出す予定のなかった青室のほうも登場。
そして最後にタイトルが決まる(いつもの事)。
甘いようなそうじゃないような。自分では判断がききません。
こんなんでも「甘いね」といってもらえると嬉しい……なあ(無理だよ)。



ブラウザバックで戻ってください。


[PR]動画