+++ 開店前 +++

「……ない」
4月13日の朝、Cafe SHAMROCKの店内で小さな呟きがもれた。
呟いたのはこの店の店主。やたらと長い髪の青年である。
従業員と共に店の清掃などの開店準備をしていた彼は、覗いていた冷蔵庫を静かに閉めて店内に顔を出した。
「………なあ、昨日用意したお菓子がいくつか減ってんだけど」
静かな、だがどこか冷気を漂わせる声で従業員に向かって言い放つ。
それを聞いた厨房担当の二人、菓子担当の恵(めぐむ)と、料理担当の幸(ゆき)は、それぞれモップと椅子を手に首を傾げた。
二人は、自分で作った料理が昨夜冷蔵庫に入れられる所を確認していた。店主の言葉に一番驚いているのはこの二人だろう。
「本当にないのか? 奥の方に入ってるとかじゃなくて?」
短く刈った髪の店内で一番身長が高い青年、幸は、清掃中にテーブルの上にあげていた椅子を元に戻しながら尋ねる。
「マスターの数え間違いじゃ?」
使い終わったモップを片付けようとしていた茶髪の青年、恵がのんびりとした口調で尋ねた。
「あきらかに減ってんだよ。トレイに不自然な空きがあるんだって」
そう言いながら店主が首を振ると、部屋の隅っこで青い顔をしている二人が目に入った。
接客担当の充(みつる)と晴(はる)である。
二人とも、店主が視線を向けた瞬間ぎこちない笑顔を作った。それはもう、あきらかに恐怖に引きつっているような表情で。
「…………またお前ら、か」
店主の声が低くなる。客の前で見せているのとは全く違う、獰猛そうな笑みを浮かべた。
その声に、充と晴は細かく、やたらと早く首を振った。
「ち、違うよ!」
店内で一番小柄で、一番元気がいい充が、上ずった声で否定する。
「嫌だなあ。いつもつまみ食いしてるからって真っ先に疑うなんてひどいですよ」
眼鏡をずりあげながら、晴はやけに明るい口調で抗議する。
いつも食べている時点で問題なのだが、そこにあえて突っ込まず、店主はにっこりと二人に笑いかけた。
二人も思わず笑顔を返す。
そして、笑顔のまま店主は言った。
「口、ついてるぞ?」
「えっ!?」
充と晴が慌てて口を押さえ、…………そこに何もついてないことに気づいて、「しまった」という顔をした。
「…………充?晴?」
静かに声をかけた店主に、恐る恐る二人は顔を上げた。
店主はにっこりと笑って、・………親指を立てた拳で首をかくまねをした。二人の顔が引きつる。
「やっぱりてめえらか〜!!」
「「ごめんなさい〜!」」
店内に店主の怒声と二人の悲鳴が響いた。
「あ〜あ。ばれちゃった」
平然と恵が呟く。幸はため息をついて、視線をわざと三人からそらした。
「何でてめえらはいっつもいっつも…………」
肩を怒らせて怒鳴りかけて、ふと店主は黙り込んだ。
「………マスター?」
なにやら考えているらしい彼に、不安になって晴が声をかける。
じっと見ていると、店主は不意に顔を上げた。吹っ切れたような顔で。
「………そうだな。つまみ食いしても何も罰がないからいけないんだ」
「………罰?」
怪訝そうに充が聞き返す。
「そう、罰だ」
鷹揚に頷いて、店主は二人をすっと指差した。
「お前ら。つまみ食いしたら女装で接客な」
「え・・・・・・ええっ!?」
「な、ちょっ、待って・・・・・・」
慌てる二人にかまわず、店主はにやりと笑った。
「紺色の質素な、だがふわりと広がる裾が愛らしいワンピースに純白のレースをあしらったエプロン!靴は革のローファーだな!それに白い靴下とレースのメイドキャップ!」
「メイドルックじゃねえか!」
「何具体的に描写してんだよ!」
悦に入っている店主に向かって晴と充がぼぼ同時に叫ぶ。充は涙目だ。
「・・・・・・・・・やかましい。またつまみ食いしたら絶対その格好で接客。決定な」
「・・・・・・うそ」
充が信じたくない、というような口調で呟いたが、店主は無言で微笑むだけだった。
「……そ、そんな服どこにあるって言うんですかあ」
あきらかに動揺した笑顔で、晴が言った。
「そんな服、本当に探して来たらすぐにでも着てあげますよ」
そんな服はみつかりっこない。そう決めてかかり、晴はにっこり笑っていった。
その一言に、充に向けていた視線をゆっくりと晴にやって、店主は笑った。
心底楽しそうに。
「………じゃあ、着て貰おうか」
まさか、とその場にいた全員が思う。そんな中、店主は笑ってレジを置いた机の下を探り……本当に、言葉通りの服を取り出した。
「なんでそんなモンが男しかいない店内にあるんだ〜!」
当然の突っ込みが晴の口から漏れたが、店主の笑顔は揺るがない。
「さあ。なんでだろうな?……それより、男に二言はないな?」
「…………!」
机の中から出したというのに皺一つないそれを手に、店主は二人ににじり寄っていく。
「……………さあ、二人とも」
邪悪な微笑で近づいてくる店主に、二人はじりじりと後ろに逃げる。
……だが、後ろは逃げ場のない壁だった。
「大丈夫。二着あるから二人とも着れるぞ」
「………うわあああん!」
声も出せない晴と泣き出した充を、幸は真っ青な顔で見ていたが、やがて諦めた顔でそっと、 外から見えないよう、店の窓のカーテンを閉めた。
…………開店時間まで、あと僅かである。


Cafe SHAMOCK2パンフレットに掲載したショートです。
主宰、及びスタッフ4名をモデルにした息抜き的なお話でした。
モデルとほとんどキャラクターは一緒です(笑)。

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