Mourning

彼にこの事を伝える役は、自分から買って出た。
他の者ではなく自分が伝えたいと思ったし、周囲に異存はなかった。
だが、その事実を告げた瞬間にはすでにこの役を買って出た事を後悔する事になった。
「…え……?」
夕焼けに紅く彩られた執務室の中、小さく漏れたその高い声はやけに強く耳を打った。
その声を聞いて、副官にすら同室を遠慮してもらってよかったとぼんやりと思う。
この声は、その覚悟がある者にすら耳に痛すぎるから。
「う、そ……だろ?」
掠れ声で漏らした少年―――エドワード・エルリックの唇が、不自由な笑みに歪む。
微かに震える唇から漏れた言葉は、このようなリアクションを取られるだろうと予想していた通りだったにもかかわらず、やけに胸に重く響いて、ロイ・マスタングは僅かに顔をしかめた。
「……嘘、だよな?そんな……」
どこか必死に聞こえる震え声で問い詰めるが、目の前に座る男から返って来たのはただ絶望的な沈黙で、エドワードの笑みが崩れる。
「……どうして」
呆然と呟くエドワードに、ロイは静かに答えた。なるべく平静に聞こえるように。
「暗殺だ」
簡素なロイの報告に、エドワードの顔が苦しそうに歪む。
「……なんでだよ。だって……!」
別れた時はあんなに元気だったのに、と続けられようとしたのだろう言葉の途中で何かに気付いたように言葉を切り、エドワードはきゅっと唇を噛み締めた。
必死な子供の、年相応の表情が、彼の年に似つかわしくない、自制しようとする大人のそれに変わる。
……気づいた、のではなく、思い出したのだ。『軍人だった』という事、それが持つ意味を。
まだたった十五だが、同じ軍人という立場にある彼だから、理解している事だった。
軍人という職業に、約束された安全などはない。
戦、暗殺、警邏中のちょっとした事故など、いつその命を奪われるかは分からない。
無事に仕事を終えて我が家に帰り、妻に迎えられ、娘にキスをする事ができる保証など、どこにもないのだ。
……前ならば、突然訪れた不幸の理不尽さを、全て自分にぶつけてきたはずだ、とロイは思う。
いきなりの、家族を愛する優しく陽気な男の死を、『軍人というのは危険な職業なのだ』という論文にでも載っているような言葉では納得できなかったはずだ。もっと嘆き、素直に『こんなことがあっていいはずがない』と叫んだはずだ。
しかし、彼はずっと『軍人』として行動し、そのための経験を重ねてきた。
何の罪もない少女の死が、幾度も受けた軍人であるが故の侮蔑や差別が、彼に軍人であるということの持つ一側面を自覚させ、この事実と真正面から対峙せざるをえない状況に置いていた。
取り乱す事もできずに。
「……鋼の」
静かにロイが呼び掛ける。自分でも何と言葉をつなげば良いのか分からなかったが、ただこの沈黙がいたたまれなかった。
短い呼び掛けに、微かにエドワードの肩が震えた。その瞳が一瞬不安げに揺れて、逆光で見えないロイの顔に視線を向ける。
そして、その瞳に痛みと、自制が宿った。
「……悪い」
絞り出すような声で、思いもよらない言葉がエドワードの唇から漏れた。
「悪い、大佐。…もう言わねぇ」
そう言って、彼は無理やりに作った、泣くのを我慢するような笑みを浮かべた。
その、やけに静かな、痛みを含んだ声に、ロイは組んでいた指に力を込めた。
参った。こんなリアクションは予想してなかった。
……彼がこんなにも『軍人』だと、自分は思っていなかったらしい。
胸をあぶられるような痛みと焦燥に、思わず伏せてしまいそうな目を自制して真っ直ぐに前を見て、ロイは立ち上がった。
その瞬間、エドワードの体が緊張した。
その顔に浮かんだ恐れの混じった表情に、ロイは微かに目を見開いて動きを止めた。
緊張が切れたら、泣き出してしまいそうな顔だった。そして、少しのことでその緊張が切れてしまいそうな。
痛い程のロイの視線を感じて、エドワードは拳を握り締め、無理に口元に笑みを作って見せる。
「………話、そんだけだろ?俺、もう行くから」
掠れ声でそう言って、エドワードはぎこちなくロイに背を向け、ドアに向かって早足で歩き出した。
その強張った、小さな背中に、ロイは思わず足を踏み出して彼の名を呼んでいた。
「エドワード!」
ここで行かせてやるのが同じ立場の人間としての思いやりだとか、そんな事は頭から吹き飛んでいた。
ただ、ここで気持ちを押し込めたまま立ち去ってほしくないと思っていた。
……自分はいつもそうしているのに。
その、鋭く強い制止に、エドワードの足が止まる。
だが、彼は拳を握ったまま俯いて、返事をしようとも、振り向こうともしなかった。
ゆっくりと、この緊張を壊さないように、ロイは静かにエドワードに近付く。
紅い夕日の、弱い光の中では見落としてしまいそうな程、彼の体は微かに震えていた。
「エドワード」
今度は静かに呼び掛けながら、ロイはそっと、後から少年の体に腕を回した。抱き寄せるのでなく、ただ、包むように。
エドワードは抗おうとはせず、されるままになっていた。
腕に納まった体に痛々しい程に力がこもっているのを感じる。
その体のかすかな震えを直に感じながら、俯く彼の金色の髪を見下ろして、静かな声で囁いた。
「……私は、泣いたよ」
びくりと、腕の中の体が震えた。
そして何かに耐えるように、更に体に力がこもるのを感じながら、もう一度繰り返した。
「私は泣いた」
僅かに痛みの混じったその声に、エドワードは前を向いて、きゅっと拳を握り締めた。そして
「……俺は、泣かねぇ」
小さく、でも強く、エドワードは返した。無理をしているとすぐ分かる掠れた声で。
だがそれもまた、この少年のプライドの高さ故なのだと理解して、ロイは苦笑しながら更にきつく小柄な体を腕の中に閉じ込めた。
そして。
「……強いな、君は」
ぽつんと呟いた。
その瞬間。
ぽつりと、ロイの袖に、雫が落ちた。
腕の中の体が息を飲んでいるのが伝わる。そしてまた、ぽつりぽつりと雫が袖を叩いた。
エドワードの顔が、少し俯いた。
そして更に、体と拳に、力がこもった。体の震えを抑えるために。
ロイは何も言わず、ただそのままの体勢でいた。何も気付いていないかのように。
ただ、自分の袖を打つ雫の感触と、押し殺した息遣いを感じていた。
緊張と、焦燥と、僅かな安堵を持て余しながら。
きつく抱き締めたい自分を殺しながら。
ただ、腕の中の体の力が抜けるまで、息遣いが落ち着くまで、そうしていた。
エドワードはその間、一度も声を漏らさなかった。
やがて、エドワードが大きく深呼吸をして、ロイは腕から力を抜いた。ずっと同じ体勢でいた体はすっかり強張っていて、外は暗くなっていた。
「……もう行く。アルが待ってるし」
「ああ」
前を向いたまま、鼻声でぶっきらぼうに言うエドワードに、ロイはほほ笑んで腕を外した。
こっそり顔を拭いつつ、エドワードは今度はゆっくりとドアに向かって行く。
「じゃあな、大佐。おやすみ」
わざと作った軽い声でそう言いながら、エドワードは片手をヒラヒラと振って挨拶をする。
そしてドアを開け、やっとちらりと振り返って。
「………ありがと」
短く、ともすれば聞き逃しそうな声で言って、エドワードは赤くなった顔を隠すように勢い良くドアを閉めた。
一人残された室内で、ロイはエドワードの最後の一言に目を見張り。
やがて、堪え切れずに小さく吹き出した。
そして、くすくすと笑いながら顔を押さえて、その手の袖口がじっとりと重く濡れて、色が変わっている事に気付いた。
手袋を外して直に触ってみて、その意外な濡れ方に驚き。
これだけの気持ちを一体どこまで抱えて行くつもりだったのかと苦笑して。
「……強情だな、全く」
笑んだままの唇で呟いて、濡れてごわついた布地をそっと撫でた。
「……私の前では気を許してくれてもいいんじゃないか?」
軍人でも、仲間は悼む。友を殺されてまで割り切ることなど、自分にだってできない。いや、割り切る必要はないのだ。
そう考えて笑みを深くし、ロイは手袋をはめ直し、同胞の命を奪った者達を屠る準備のために机に向かう。
とりあえず、少年が帰ったことを確認してやってくるだろう副官には、この袖が濡れている事に気付かないでほしいと思いながら。

2004,4,27



お喋りの延長上で書くことになり、なぜかやたらと筆が乗ったので四時間ほどで書き上げた鋼です。
ごめんなさい、慣れてないせいで駄目駄目です(汗)。書き始めたあとに最後が気に入らなくてプロット書き直すとか行き当たりばったりな……(汗)。
ヒューズさん追悼ということで。私あの人ものすごい好きなんです(親馬鹿で夫馬鹿な感じが)。
まだ原作でエドは事実を知りませんが、原作と全然違ったとしても、『同人というものはすべからく捏造(犬飼談)』ということで。



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