めでたくもなし。
齢も二十を超えた大の男が、誕生日が来たぐらいで少しもめでたいことはない。 そうのたまった最高僧(一応)は、己の言葉どおりに、二十一歳の誕生日の朝も、普段通りに仕事をしようと部屋を出て行って、三分もしないうちに帰ってきた。 五年も一緒にいるため、彼が一度こうと決めたら変えようとしないタイプだと分かっている悟空は、帰ってきた三蔵の顔を見て両手にデザートの肉まんとあんまんを持ったまま目を丸くした。 「三蔵?何か忘れ物?」 「…………」 酷く不機嫌そうな三蔵が、話し掛けた自分を睨みつけたことに怯えて、悟空はそっと皿の上に中華まんを降ろす。 そして、恐る恐る立ち上がって棚に駆け寄り、棚の上に置いてあったタバコをライターと一緒に差し出した。 「……………」 「……これじゃなかった?」 内心冷や汗をかきながら悟空は愛想笑いを浮かべ、差し出した手を下ろせないまま立ち尽くす。 三蔵は無言のまま、いつもの仏頂面に『このクソたわけが!』とでも言いたそうな怒りみなぎる表情を浮かべている。いやこれは本当に怖い。 どうしよう、と思っていると、不意に手の中のタバコとライターを掴み取られる。 あれ?と目を丸くした悟空の前で、三蔵はおもむろに床にあぐらをかいてタバコに火をつけた。 どこかのヤンキーのようにガラ悪く紫煙を吐き出す三蔵の前にしゃがみこんで、悟空は彼の顔を覗き込む。 「仕事行くんじゃねえの?」 「………やめた」 問いに返ってきた投げやりな返事に、悟空は更に首をかしげた。 仕事をしに行って真夜中まで帰ってこなかったことはあっても、行ってすぐに帰ってきたことはない。 いったいどうしたのかと、訊いても答えそうにないな、と思って、悟空はそっとドアを開けて部屋の外の様子をうかがう。 三蔵よりはるかに視力がいい悟空は、遠くの方に掲げられた白い大きな物が一体何なのか分かって、そっとドアを閉めた。 『祝・玄奘三蔵様御生誕二十一周年』 黒々とした墨で、さながら『○○葬儀』のように書かれた文字が読めた瞬間に踵を返してきたのだろう。 悟空は気付かなかったし、三蔵の視力では見えなかったが、本道の周りには仏祭用の五色の幕まで掛けられていた。 物凄く不機嫌な理由がとりあえず自分でないことに安堵して、悟空はもう一度三蔵の顔が覗き込めるところにしゃがみこむ。 「……どうする?」 「………今日は外に出ねえ」 溜息をつきながら携帯灰皿に灰を落とす三蔵の言葉に、悟空は眉をへの字にした。 「え〜」 「……なんだ」 「仕事に行かないなら遊びに行こうぜ」 「断る」 冗談じゃねえ、と表情で語り、三蔵が吸い終わったタバコを灰皿に押し付けて立ち上がろうとしたところで、ドアがノックされた。 「三蔵様、いらっしゃいますか?」 年若い僧侶の声だ。その声音は心なしか弾んでいる。 返事をしないでいると、やけに明るい声で更に話し掛けてくる。 「お誕生日おめでとうございます。本日は三蔵様の特別のお教えを賜りたく……」 ……つまり、誕生日記念に説法をしろ、と言いたいらしい。 ………冗談じゃねえ。 タバコとライターを袖の中に突っ込むと、三蔵は立ち上がる。 見上げて何事かと問いかけようとする悟空の口を塞ぎ、三蔵は財布を引っ掴んで窓まで悟空を引き摺って行く。 悟空は慌てて、テーブルの上の肉まんとあんまんを掴んだ。 「……三蔵様?」 なおも続くノックと呼び掛けを背に、三蔵は音を立てずに窓を開け放った。 「三蔵様……?いらっしゃらないんですか?」 更に何度目かのノックと呼び掛けの後にドアが控えめに開かれたとき、部屋の主とその養い児の姿は室内にはなかった。 「あれ、三蔵?どうしたんですか?」 お昼の焼きそばを皿に盛っていた八戒は、いきなりやってきた悟空と三蔵に目を丸くした。 悟空が単独で遊びに来たり、八戒と悟浄が遊びに行ったりすることはあったが、三蔵がこちらに来るのはとても珍しかった。 そう、悟浄が『三蔵様は足腰が弱くてここまで遊びに来れない』とふざけて言うほどに、三蔵がここに来ることはほとんどなかったのだ。 驚きつつも歓迎してくれた八戒に招き入れられ、三蔵と悟空はテーブルに腰を落ち着けた。 「三蔵も来るなんて珍しいですね。あ、もしかして誕生日を祝ってもらいに来たんですか?」 「違う」 その祝いから逃げてきたのだとは言わず、三蔵はふんぞり返ってタバコに火をつける。 「コーヒー」 「いきなり来ておいてそれですか……。ちょっと待っててください」 文句を言いながらも逆らわずにコーヒーをセットする八戒は、昼食用に作った焼きそばが悟空の腹に収まることを予想し、自分達は何を食べよう、と考え始めた。 三蔵がコーヒーを飲みながら我が物顔で新聞をめくりだし、悟浄の分の焼きそばが悟空の胃袋に消えた頃、両手に広告の品がたくさん入った商店の袋を抱えた悟浄が帰ってきた。 「あ?何でいンのお前ら」 「あ、悟浄お帰り〜」 のんびりと箸を持っていない方の手を振る悟空が自分の昼食を平らげてしまったことに気付かず、悟浄は八戒に一つずつ商店の袋を渡す。 「何だよ、お誕生日祝ってもらいに来たわけ?二百十歳の誕生日だもんな、三蔵様」 「……誰が二百十歳だ。死にてえか赤河童」 地の底から響いてくるような三蔵の言葉を笑い飛ばし、悟浄は自分のマグカップにコーヒーを注ぐ。 「何か食いに行こうか」 おごるぜ?と悟浄が言い、彼の財布の紐を握っている青年は思案顔になる。 「僕は構いませんけど……。悟空もいますから、食べ放題の店がいいですね」 「じゃ、焼肉?」 「うん!肉肉〜♪」 悟浄の言葉に悟空がはしゃぐ。 新聞を読んで口を挟まない今日の主役に、八戒はそれで良いかとお伺いをたてた。 「………好きにしろ」 いくら主役といえど、食欲の塊を連れてきておいて特上寿司を頼ませるわけにも行かない。 祝ってもらうことすら考えてなかったのだから、三蔵に否やがあるはずもなかった。 「やった!肉〜!焼肉〜♪」 悟空がはしゃぐ声を聞きながら、三蔵は『三蔵様のお誕生日説法』より断然ましだ、と思った。 ……その頃、主役に失踪された寺の僧達は、大僧正の指示で本殿を飾り付けていた。 「お誕生日おめでとうございまーす」 「おめでとー」 焼肉屋のテーブルで、ビールとジュースで乾杯した四人は、法衣姿の三蔵が生臭を食べていることで注目を浴びていることにも気付かず、物凄く騒がしく食事をしていた。 「タン塩焼くからちょっと場所開けろよ悟空」 「もうちょっとでこのカルビ焼けるから待てって」 「野菜も焼かせてくださいよ。せっかく取ってきたのに」 「あ、三蔵それ俺のロース!」 「うるせえ。キャベツでも食ってろ猿」 制限時間が設けられている焼肉屋において、四人の箸は止まる事がない。 「悟空タレ取って、タレ。ゴマじゃない方」 「味噌汁置きたいんでこの辺の皿片付けてくださいねー」 「おねーさん網換えてくれる?」 「ホルモンうまーい♪」 凄まじい勢いで大量の肉が四人の(主に悟空の)腹に収まる。 換えた網もすぐに汚れる勢いに、店員は戦々恐々とした九十分を過ごした。 さすがに九十分では店の肉を全て食べ尽くすところまでは行かなかったが、次回入店を拒否されること確実な量を平らげ、悟空はもちろん一同ご満悦で焼肉屋を出た。 四人が行った焼肉屋は悟浄の家より寺のほうが近い場所にあり、八戒はついでなので二人を寺まで送っていくことにする。飲酒運転になるが、ビタ一酔ってない上にそう言う事を気にかける常識人はいない。 乗り物を使って登って来る者はほとんどいないが道幅はある道路に、昼間にしても多くの人が登ってきていることに気付いたのは八戒だった。 「どうしたんでしょうね。今日何かあるんですか?」 「知らんな。暇なだけだろう」 すごく失礼なことをさらっと言った三蔵に突っ込むものはなく、四人はそれきり人の多さについての興味を失った。 だが。 悟空と三蔵にはあまりになじみの深い寺院の正門に、それは待ち構えていた。 仏祭の時にかけられる、五色の幕。 美しくも清楚な花々。 ………そして。 『玄奘三蔵法師 誕生記念特別説法』と書かれた立看板。 やっぱり何だか『○○告別式』のような感じの(幕が鯨幕だったらそのものかもしれない)飾り付けに、四人の表情は何だかしょっぱいものになる。 「……当日券は千五百円ってとこ?」 「……安いですね。五千円は取らないと」 悟浄と八戒は思わずそんな問答をしてしまう。 数秒ぬるい沈黙が続いた後、何事もなかったかのようにアクセルを踏んだ八戒に、我に返った三蔵が叫ぶ。 「おい、Uターンしろ!今夜は貴様らの家に泊まる!」 「あははー、ダメですよー。皆さん楽しみにしてらっしゃるんですから。ちゃんと説法してあげないと」 「冗談じゃねー!」 ホロのついていない車内の騒ぎはすぐに聞きつけられ、数人の僧が出迎えに走ってくる。もう逃げようがない。 凄まじく嫌がっている三蔵が、焼肉臭い法衣を着たまま上座に座らされるのは、時間の問題のようだった。 めでたし、めでたくもなし。 |
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