歯ブラシ

夕飯が終わり、部屋に入ってゆっくりしていると、控えめなノックの音が聞こえた。
「あの……。悟浄」
返事に応じて入ってきたのは、一行の運転手であり、保父さんでもある八戒だった。
「どうした?」
何だか遠慮がちな様子に、悟浄は訝って声をかける。
「いえ、あの……。悟浄の荷物の中に、僕の歯ブラシ入っていませんでした?」
「歯ブラシ?見つからねえのか?」
聞き返しながら、自分のバッグを取る。
「あると思ってたんですけど、さっき荷物開いたら見当たらなくって……」
少しだけ困ったような、いつもののんびりとした声を聞きながら混沌としたバッグの中身を探るが、洗面道具を入れたポーチにもそれらしきものは見当たらない。
「ないぜ。って言うか、昨日は違う部屋だったから、俺のとは混ざらねえだろ」
言いながら、悟浄は自分の中で一つの嫌な予感が大きくなりつつあるのを感じていた。
「一応、三蔵のところにも聞きに行ったんですが……。まぁ、ないならいいです。きっと前の宿に忘れたか、間違えて捨てちゃったんでしょう」
まだ少し気がかりそうに、だが口調だけはあっさりとそう言って、八戒はドアに手をかける。
悟浄の少し引きつり気味な笑顔に気付いた様子はない。
「じゃあ、お休みなさい、悟浄。あんまり遅くまで起きてちゃだめですよ」
「ああ、分かってるって。おやすみ〜」
ひらひらといつものふざけた調子で手を振る悟浄に、八戒が苦笑しながらもう一度おやすみなさい、という。
ドアが閉まった瞬間、悟浄の笑みが何だかヤな感じの物に変わる。
すく、と立ち上がり、窓の方につかつか歩み寄った。
……ここ3年、八戒と暮らしていて、時々八戒の持ち物がなくなることがある。
それは本のしおりなど、本当に取るに足らないものではあるが。
それの共通点は、八戒の物、だということだけだった。
そして、つい3日前。
八戒の荷物の中から、缶切りを借りようと探していたとき、バッグの中から長い銀髪が出てきた………。
がら、と窓を開けるなり錫杖を茂みに向かって放つ。
「返しやがれコラァ――!!」
誰もいるはずのない茂みに向かって怒鳴り、ぴしゃりと音を立てて窓を閉めた。
「悟浄、どうしたんですか!?」
叫び声を聞いたらしい八戒が中に入ってくる。
笑顔を浮かべつつ振り向く。錫杖はさっさと仕舞った。
「なんでもないって」
「でも、さっきの叫び声……」
「なんでもないって、本当に」
やけに爽やかなその笑みを疑わしげに見るが、答えは出てこない。
「………本当に?」
「ほ〜んと、ほんと〜」
へらへらと言って手を振る悟浄が、このまま問い詰められたら面倒くさいな、とか思いだした頃。
窓の外では、少し髪の先を切られた元妖怪今式神(現在ストーカー生活3年目)ががたがた震えていたとか、いないとか。


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