アイデンティティ

いつも通り三蔵が「セッポー」で出張する。
いつも通り、お留守番させられると思って、いつも通り「連れてって」といった。
いつもの7倍くらい言った。
ハリセンでぶたれても、泣くのを我慢して言ってたら、三蔵は溜息を吐いて。
仕方ない、用意して来いって言った。
連れてってくれるなんてすごく珍しい。
すごく嬉しかった。
嬉しかったんだ。
でも………。

三蔵が仕事をこなしている間、悟空は外で(しかもあまり遠くないところで)遊んでいるように命じられた。
三蔵の『近く』と悟空の『近く』は違うので、しっかり範囲を決められて。
最初はつまらないと思ったが、はじめて来た町なのだから狭い範囲でも目新しくて、悟空は知り合った地元の子供達と一緒に遊んでいたのだった。
でも、時折振り返る三蔵のいる寺院。
暗くなる前に帰れといわれた。
確かに遊ぶのは楽しかったし、物珍しかったけど、夕日が一番赤に近い色になった頃、引き止める遊び相手に手を振って、悟空は寺院に走っていた。
誰と遊ぶより、三蔵の側にいたかったから。
まだ仕事が終わってないのなら、門の前で待とう。そう思っていた。
そして、迷って回り道をして辿り着いた寺院の門前で、悟空は立ち尽くすことになった。
中年の僧が、悟空の姿を認め、驚いた様子でこう告げたのだ。
仕事を急いで終えた三蔵は、引き止めるのも聞かずに先刻帰ってしまわれたのだ、と。
頭の中が空っぽになって、しばらく悟空は動かなかった。
しばらくじっとしていると、やがて一つの考えが急速に頭の中で形を成す。
――――――置いていかれた?
頭から一気に血が下がるような感触。
心臓が痛いくらいに鳴っている。
心配している様子の親切そうな僧が何か言いかける前に、悟空は踵を返した。
走り出す。
もう闇に包まれ始めた町の中へ。
今日二人で通ってきた道を辿って、一目散に。
二つの言葉が頭の中でぐるぐる回る。
――三蔵。
………置いていかないで!!

どれくらい走っただろう。
目の前に関所が見えてきた。
ここに来るまでは一本道で、でも三蔵にはまだ追いつけなかった。
そんなに速く行ってしまったんだろうか。
…………そんなに自分が、厭だったのか。
がくがくと膝が笑っていて、息もまともにできなくて、へたり込んだ。
涙がぼろぼろと溢れて来て、前髪を掻き毟るように顔を拳で覆った。
体中の感覚が頭と胸の痛みだけに集中していて、ばらばらになってしまいそうで、ぎゅっと拳を握り締めた。
しゃくりあげる合間に、何度も、何度も呟く。
「三……蔵っ。三蔵っ! ……三………ぞ………」
自分には、三蔵しかなくて。
いつでも自分の目的地は『三蔵』で、帰る場所も『三蔵』で。
……いつでも還れると思っていた。
三蔵がいなければ、どこに行けばいいかなんて分からないのに。
どこにいればいいかなんて知らないのに。
『自分』さえ分からないのに。
「三蔵!!」
貴方の行く場所に連れて行って。

泣きすぎて、自分の心も体の中身も空っぽになった気がした。
喉の痛みも頭の痛みももう遠くて、空っぽになって、空を見上げていた。
ただじっと、月のない空を見上げていた。
星の存在すら知覚できなかった。ただ、見ていた。
その時。
ふと、何かに呼ばれた気がした。
音ではない。
でも、『呼んでいる』。
体はもうフラフラで、立ち上がったら眩暈でふらついたけど、悟空はゆっくりと歩き出した。
さっき駆けて来た道を。
一点を見つめて。
何かが見える範囲にいるわけではない。
だんだん歩みが速くなる。
フラフラになりながら、でももう体の悲鳴なんて聞こえなかった。
だって、呼ばれているから。
……………金色(こんじき)の、光。
視覚以外のもので、それを知覚する。
そして、視界に捕らえる。
求めた金の光を。
声が喉にへばりついて、何も言葉が出てこない。
ただ、立ち尽くす。
目はぽっかりと開いていて、光がひどくゆっくり近づいてくるように思えた。
どこか遠くから聞こえる、ぜいぜいと苦しそうな息遣い。
「……………っの、……バカ猿」
声を聞いた瞬間、飛びついていた。
自分が飛びついていて、二人して倒れて、しがみ付いた胸に顔を押し付けて大声で泣いているのだと言うのに気付くのに大分かかる。
背中に回された手のぬくもりも。頬に濡れた、汗に湿った法衣の感触も。
傷の付いたCDが何度も同じ音を繰り返すように、悟空はずっと同じ言葉を繰り返していた。
「三……蔵……。さんっ……ぞ………。……三蔵っ!」
ここにいるという実感に、心の底から安心できた。
それでもまだ確かめるように、ぎゅっとしがみ付く。
三蔵は悟空が落ち着くまで、何も言わずじっとしていた。
しゃっくりは止まらないがやっと涙が出なくなった頃、悟空は三蔵を見上げる。
いつも通りに見えなくはないが、自分にははっきりと安心しているとわかる顔。
彼の安心の意味が分からず、悟空は首と傾げた。
「何で、後ろから来たんだ? 俺、追い抜いた?」
ごしごしと目を擦りながら言うと、またじわりと涙が浮いてくる。
どこにこんなに涙があったのだろう。
「……先に、行っちゃったって……。俺が来る前、に、出発っしたって……」
ぐしぐしと泣きながら悟空は必死に訴える。
また泣き出した悟空に、三蔵の眉間に皺が刻まれた。
今の彼の仏頂面の下にある感情は、困惑だ。
こんなに泣き続けられて、どうしたらいいか分からない。
この子供の泣き顔は、何だか落ち着かなくなる。
でも自分は慰めるのが得意ではない。
だから……。
「……いつまで泣いてんだ、っの、バカ猿が!お前を拾ってすぐに出発すりゃあ今日中に関所は超えられるだろうと思って迎えに来たのに、どの道通って行きやがった!行き違いになるは、寺の奴から聞かされて走って追いかける羽目になるは。冗っ談じゃねえぞ!」
怒鳴ったら悟空は丸い目を落っこちそうなほど見開いて、きょとんとした顔で三蔵を見上げた。
「………迎えに来てくれた?」
「……それが、お前が変な道通ったせいで行き違っちまったんだ」
三蔵が言うと、悟空はしばらくじっとして固まっていた。
あまりに長く動かないのにさすがに心配になり、声をかけようとした瞬間、悟空は三蔵の胸に倒れこむ。
全身の力が抜けている。安心して気が抜けたのだ。
「…………良かった………」
吐息に乗せられた言葉に、三蔵は常に浮かべている仏頂面を脱ぎ捨て、優しく、切ない微笑みを浮かべていた。

二人ともぼろぼろに疲れ果てていたし、野宿はしたくなかったので、近くの宿まで引き返した。
真夜中に叩き起こされて少し不機嫌そうな主人に一人部屋が一部屋しかないと告げられ、二人で一人部屋を使うことにした。
床に一枚布団を敷いて貰ったが、悟空は枕だけ持って三蔵の横に潜り込んでいた。
ぎゅっと腕を持って抱き締めても、三蔵は何も文句を言わない。
目を閉じかけては、目の前に三蔵がいることを確認するために目を開ける悟空の背を引き寄せ、寝ろ、と命じる。
「お前もう出張についてくるなよ」
「…………やだ」
悟空の声の調子がいつも通りに戻っているのを聞いて、ほっと息を吐いた。
「……………なら、離れんじゃねえよ」
囁いて三蔵は自分の顔を見ている悟空の額に唇を落とした。

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