Present

「なあ、チョコくんないの?」
八戒がここに住むようになって初めての、二月十四日。
昼食を終え、食器を洗うために台所に立った八戒に、悟浄が言った。
「今日バレンタインじゃん?チョコくんないの?」
スポンジに洗剤をなじませている八戒の横に立って、ねだる口調で囁く。
「……だって、僕女性じゃないんですよ。僕がチョコ用意するの、変じゃないですか」
悟浄を見上げながらそう返した八戒の顔が、恥ずかしさにやや赤らんでいるのを見つけて、悟浄の顔に笑みが浮かぶ。
「……何ですかその顔」
「べえぇっっつにぃ?」
「…………何ですか、その言い方」
ニヤニヤしている悟浄に、見透かされた気がして八戒はすねたように言う。
それがまた、悟浄の笑みを深めると知らず。
なんだか悔しくなって、スパゲッティが乗っていた皿を少し雑に洗った。
「……大体、僕からもらわなくても」
洗った食器の水気を切りながら、平静を装って悟浄の前に置いてある布巾を取る。
「町を歩けばたくさんの女性からもらえるでしょう」
言ってしまって、はっと気付く。
これでは『嫉妬してます』と言っているようなものではないか。
「いえ、あの……」
何とか言いつくろおうと思うが、もう遅かったようだ。
「へえぇぇぇぇ。そっかぁ♪」
「な、何ですか」
八戒の手から布巾を奪って食器を拭きながら、悟浄は歌でも歌うような口調で言い募る。
「いつも荷物持ちについて来いって言うのにぃ、今日は家で留守番してぇ、外に出るなって言われたっけなぁ、そういえばぁ」
横目で八戒の様子を見る。
顔に朱を掃いた八戒は、からかう表情の悟浄と目が合って、言葉を詰まらせる。
結構気分がよかった。いつも手玉に取られているのが、今日は強弱が逆転しているのだから。
「まるで町にいくなって言われてるみたい?」
「そ、そんなんじゃ」
言い返そうとした八戒の先手を打って、悟浄は急に口調を変えた。
「俺『今年は本命からもらうからいらない』って言っちまったんだけどな」
「え?」
視線を上向かせてそう言ってから、様子を窺うように八戒の方を見る。
「このままじゃ収得数ゼロ。寂しいな〜」
「………………」
珍しく追い詰められている。
そう自覚があるので、どうしようと余計に気が焦る。
ふと気が付くと悟浄の顔が間近にあった。
「なあ、くれねえの?」
「……………」
流されかける。
悟浄の唇が八戒のそれに重なろうとした瞬間、悟浄の後ろで干していた洗濯物が落ちるのが見えた。
「あっ!」
わざと大袈裟な声を上げ、八戒は悟浄の体を押し返す。
「何?どうしたよ」
「洗濯物が落ちました。拾いに行って来ますから」
そう言い置いて、そそくさと家を出て行く。
顔を見られないようにしても、実は首まで赤いからばればれだったりするのだが。
「あ〜あ。失敗?」
折角ねだれそうだと思ったのに、と、悟浄が苦笑したのを、八戒は知らない。

「………何それ?」
戻ってきた八戒が持っているものが、大量のチョコレートであるということに気付いて、悟浄が首を傾げた。
「郵便受けの中にはいってました」
「何で?」
『俺本命からもらうからいらない』って言ったぜ?と首を傾げている悟浄に、そのことなんですが、と言いにくそうに八戒が口を開いた。
「どこからか情報が微妙に変わってしまったようで。『本命チョコ以外は受け取らない』という風に」
「はあ?」
どこが微妙なのか。
机の上に置かれたチョコは、34個。結構数がある。
「……これ全部本命チョコってわけか?」
「そうなりますね」
肩をすくめながら八戒が返事をする。
明らかに手作りだと分かるラッピングのものがほとんど。
どうしよう、と、取り敢えず市販品らしい物のリボンに挟まったカードを開いてみて、悟浄は眉を寄せることになる。
『猪 八戒様』
八戒に向けられたチョコだったのだ。
確かに彼も男性である。『極上』といってもいいほどの美形でもあるし。
何だかとっても気に入らなくて、悟浄はそのカードをリボンにはさみなおした。
「で、お前はくれないの?」
努めて明るく聞いてみる。
食後のほうじ茶をすすりながらチョコの山を眺めていた八戒は、再び悟浄に聞かれてうろたえる。
「これだけもらって、まだ欲しいんですか?」
「本命からのチョコはまた別だろ?」
あっさり言われてしまっては返しようがない。
「なあ、くれないの?」
からかっているのか甘えているのか分からない笑みに、くすぐったい気分になる。
「八戒?」
顔を覗き込まれ、思わずうつむいてしまう。
他の誰かなら上手くあしらうことができるのに、この男のこの口調には、弱い。
これ以上聞いていたら丸めこまれてしまいそうで、八戒は席を立った。
「八戒?」
「読みかけの本があるので。台所の方で読みますね」
さわやかに言い放ち、持っていた湯のみごと逃げ出した。
やりすぎたかな、と思いつつ、羞恥に真っ赤になった八戒の表情を思い出し、悟浄の頬が緩む。
良いもん見たな、とか、本人にばれたら速攻一撃食らうようなことを考えた。

ついでに、じっくり煮込むスープでも作ろうと思って、冷蔵庫の前に立った。
開けて見て、ぱっと見には見えないように入っている2つの包みが目に入り、溜息をつく。
『お前はくれないの?』
悟浄の囁きが耳に残っている。
チョコレートは、用意してしまった。プレゼントのカップとソーサーも。
しかも、2週間も前から。
ただ、渡すタイミングがつかめない。
冷蔵庫の冷気を頬に受けながら、八戒は大きな溜息をついた。

夕食後。
美味しい食事への満足感と、満腹感で寛いではいるが、悟浄の顔はいまいち晴れなかった。
もちろん、本命からチョコがもらえないため。
これ以上言うと怒らせてしまう可能性が高い。
でも、彼が相手だからこそ欲しいのだから。もう少し粘ってみるか?
考え込んで、微妙だよな、と八戒の方を見てみたり。
食器を洗い終えた八戒はう〜ん、と、テーブルに顎を預けて行儀悪くうなっている悟浄を見て、しばらく考えたあと台所の前にたった。
しばらくして、コーヒーのいい香りが悟浄の鼻に届く。
「悟浄、食後の一服はいかがですか?」
八戒の優しい口調に、わずかな照れを感じ取って、顔を上げる。
「あ、うん。貰うわ」
目の前に置かれたカップとソーサーが、見覚えのないものであるのに気付いて八戒の方を見る。
視線を合わせられないように、微妙に横を向いて本に視線を落としている。
なぜか冷蔵庫に入っていたように冷たいソーサーを不思議に思いつつ、カップの中の液体に口をつけた。
「………」
悟浄の表情が変わる。
ちら、とこちらを見た八戒と目があった。
悟浄の視線に気付いて目を伏せるのを見て、思わず笑いがこみ上げてくる。
味わいつつ飲み干して、悟浄はさっきからまったくページをめくっていない八戒の背後に立った。
「……カフェショコラ、ご馳走様でしたv」
「……………………御粗末さまでした」
恥ずかしそうに言う八戒を、背後から抱きしめる。
「くれねえかと思った」
「だって……。欲しいって言ってくれたじゃないですか」
心底嬉しそうに言われ、思わず顔を上げる。
その唇に、悟浄は口付けを降らせた。
ついばむようにしてすぐ離れた唇に笑みを刻み、いたずらっ子の顔で悟浄は笑う。
「どう?甘かった?」
問われて、八戒も頬を緩ませる。
「さっきのじゃ分かりませんよ」
「そ?んじゃもう一回……」
笑ったまま、もう一度唇が重なる。
微妙に角度を変えながら、次第に深く唇を合わせる。
コーヒーと、微かにチョコレートの香りがする。
甘い。
チョコレートの甘さ以上に、酷く甘い口付けに酔う。
唇を離して、視線を合わせて笑い合う。
腕の中に抱き込んだ八戒の耳元で、悟浄が囁いた。
「で、プレゼントとしてお前を美味しくいただいちゃって、いい?」
「え?」
いきなりの申し出に驚く。
ちら、と、本当のプレゼントのカップに視線を向けて、考えて。
八戒はしばらくして小さく、だが確かに頷いた。


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